姉妹都市締結十周年記念碑(新川町)
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2014年10月23日 (木) 15:37時点における最新版
[編集] 姉妹都市締結を機に姉妹クラブとなる
中世末期、閉伊の侍頭一戸千徳氏は千徳に居舘しながら、三戸・黒石浅瀬石城の城主も兼任していた。戦国末期の天正9年(1518)南部信直の弟の嫡男・彦次郎政信が津軽郡代となりその後見に千徳氏がついた。しかし後の戦国大名となった大浦右京の策略により失脚、千徳氏は浅瀬石城で一族抹殺されたという。この史実から昭和41年青森県黒石市と宮古市は姉妹都市締結結び、その10年後の51年4月1日10周年を記念するとともに姉妹都市締結を機に姉妹クラブとなった両市ライオンズクラブによって碑が建立された。