オーライド浜
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== '''藩政時代、英国船が漂着。オーライド浜''' == | == '''藩政時代、英国船が漂着。オーライド浜''' == | ||
元治元(1863)年5月、普代村太田名部と田野畑村北山崎の間の沖合で、イギリスの3本マストの蒸気船アスモール号が濃霧のため座礁沈没した。周辺の村に助けを求めに来たが言葉通じなかった。身振り、手まねから海難事故とわかり村民一同で救助した。その時船員たちが「オーライド」という言葉を使ったことから、上陸した浜辺一体(現北山浜)を「オーライド浜」と呼んだ。「よろしい」「そうしよう」とのことで使われた言葉だった。翌年、英国女王陛下は漁民たちの救助に感謝して、藩主南部利剛公に懐中時計1個とベルギー製猟銃1丁を贈ったという。周辺にはオーライド沢という地名も残る。 | 元治元(1863)年5月、普代村太田名部と田野畑村北山崎の間の沖合で、イギリスの3本マストの蒸気船アスモール号が濃霧のため座礁沈没した。周辺の村に助けを求めに来たが言葉通じなかった。身振り、手まねから海難事故とわかり村民一同で救助した。その時船員たちが「オーライド」という言葉を使ったことから、上陸した浜辺一体(現北山浜)を「オーライド浜」と呼んだ。「よろしい」「そうしよう」とのことで使われた言葉だった。翌年、英国女王陛下は漁民たちの救助に感謝して、藩主南部利剛公に懐中時計1個とベルギー製猟銃1丁を贈ったという。周辺にはオーライド沢という地名も残る。 | ||
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2014年10月23日 (木) 13:57時点における最新版
[編集] 藩政時代、英国船が漂着。オーライド浜
元治元(1863)年5月、普代村太田名部と田野畑村北山崎の間の沖合で、イギリスの3本マストの蒸気船アスモール号が濃霧のため座礁沈没した。周辺の村に助けを求めに来たが言葉通じなかった。身振り、手まねから海難事故とわかり村民一同で救助した。その時船員たちが「オーライド」という言葉を使ったことから、上陸した浜辺一体(現北山浜)を「オーライド浜」と呼んだ。「よろしい」「そうしよう」とのことで使われた言葉だった。翌年、英国女王陛下は漁民たちの救助に感謝して、藩主南部利剛公に懐中時計1個とベルギー製猟銃1丁を贈ったという。周辺にはオーライド沢という地名も残る。