本照寺
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2014年10月23日 (木) 09:38時点における最新版
[編集] 吉川英治の文学碑
愛宕地区の高台にあるこの寺は、日本文学の巨匠吉川英治が、その代表作である「宮本武蔵」を書き初めたところとされる。静かなたたずまいが吉川英治の心をとらえ、剣聖「宮古武蔵」の構想を起こすに、恰好の地となったのかも知れない。吉川英治(1892~1962)は『宮本武蔵』のほか大河ドラマにもなった『新・平家物語』などの時代小説でも有名。吉川英治と本照寺の関係は吉川英治の妹が、本照寺住職・関口養隆の弟と結婚しておりこれが縁となっている。
作家・吉川英治は、昭和10年(1935)吉川英治が日本青年文化協会を設立し、機関紙「青年太陽」を刊行する傍ら青年の意識啓蒙のため全国を講演しており、同年8月に倉田百三、白鳥省吾らを伴い妹が嫁いだ宮古を訪れ、宮古町、津軽石村、山田町などで講演を行っている。
平成10年(1998)3月、宮古市では愛宕小学校校庭脇にこの時に吉川英治詠んだとされる句を石碑として建立している。
- 寺を出て 寺までかへる 盆の月