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2014/08 なんじゃこりゃアートこそ神髄

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 昭和時代の「カマリ/香り」がする家具や電化製品、衣類や音楽が懐かしくて人気だという。とは言え、昭和も64年間あり割りと長く戦前、戦中、戦後、そして中期、後期に分類される。その中で最近何かと注目されているのは昭和・中期から後期だ。西暦で言えば1970年(昭和45年)あたりから1985年(昭和60年)あたりであろうか。この時代は戦後のバタ臭さが抜けてハイセンスな中流社会へ、そしてバブルへ向かう日本の加速的時代であった。現在のように日々激動する世界情勢など見えぬまま、己の豊穣だけをひたすら見つめ、将来辿りつくであろう輝かしい未来のみを信じていた自己満足の時代だった。そんな時代、僕はひたすら自分にしかわからない「なんじゃこりゃ」アートを追求していた。

 さて、僕は物集めとアートが好きで「ナンダリカンダリ/なんだかんだと」蒐集してきたが、その遍歴を辿れば中学生の頃にまで遡る。最初にアートとして愛でたのは「マックレー/真っ黒い」煤けたアルマイトのヤカンだった。金色のアルマイトと使い込んだ煤の具合、歪んで「ヘッコンデ/凹んで」擦れた感じがいい景色となっていた。しかし、置いただけではただの「コキタネー/こ汚い」ヤカンでありまったく面白くない。そこでこれを天上から細い「ヒモコ/紐」で畳すれすれに「ツルステ/吊して」オブジェとし、ついでに中に手紙や葉書を入れて状差しとした。このように「オユッコ/湯」を沸かす目的で作られた物をまったく違う目的に使用することを、古物偏愛用語で『見立て』という。この場合、味のあるヤカンを微妙に浮くオブジェ的な容器に見立てたと言えよう。窓から吹き込む「カゼコ/風」で揺れ、回る煤けてたヤカン。僕が最初にやった「なんじゃこりゃ」アート表現であった。

 次の中学時代「なんじゃこりゃ」アートは真空管の古い白黒テレビだった。あの当時はすでにカラーテレビの時代であり、真空管の白黒テレビを見ている家はほとんどなかった。内部構成もトランジスタやIC回路、マイコン回路であり、真空管など使っている電化製品は一部の高級ステレオアンプぐらいだった。入手した白黒テレビはゼネラルというメーカーの製品だった。このテレビは近所の家で「ナゲル/捨てる」というので貰ったもので、外装は木製の黒塗り「ホソケー/細い」四本の脚に、前面にはお約束の大きなツマミが左右にあり「マンナガラヘン/中心あたり」に電源スイッチ、音量、明るさの丸ボタンが並んでいた。この「イロペー/色案配」とデザイン、配置されたカタカナのロゴマークにレトロなSFのイメージあってカッコいいと思った。しかしタダで貰ったのはいいが凄く「オボダガッタ/重かった」ので自室まで「クパル/運ぶ」のに苦労した。テレビは電源は入ったものの砂嵐の画面にかすかに人影が確認できる程度の映りだった。なんのことはない、アンテナがないのだ。その後トンボの「ハネッコ/羽根」のような室内アンテナを入手し、テレビは映ったがちゃんとしたアンテナで受像するカラー映像を見慣れた目に室内アンテナの白黒映像は貧弱だった。そこで、テレビの脚を外し90度回して横にしてみた。画面が横になることで文字は見にくくなったが縦長のブラウン管と横映像はアートっぽて大満足だったし、この状態で毎夜白黒の11PMを見るのが日課となった。

 中学時代の放課後は「エギメー/駅前」の生内商店で機械部品を探すのも必須だった。マイ・スパナやマイ・ドライバーが入った手提げ袋を「タンネーデ/持参して」鉄くずの山からアートな部品を探した。そんなある日、一斗缶に「ズッパリ/満タン」に入った細長いホーロー看板を見つけた。一枚引き抜いてみたら『上野行・常磐線経由(宮)』、裏は『宮古行・常磐線経由(宮)』と読めた。ひょっとしてこれは汽車の行き先表示板?と思ったがなぜこんな大量にあるのかわからなかった。何個かある一斗缶を開けてみたら『みちのく』『そとやま』などの聞き覚えのある列車の板もある。裏には『座席指定』とか『急行』などと書いてあった。今思うとこれは当時の国鉄宮古駅が廃棄した鉄道マニア垂涎の『サボ』(サインボードの意味らしい)であり、これを全部持ち帰っていたらさぞお宝であったろうと思う。結局は紺色でかっこよかったので前述の『上野行・常磐線経由(宮)』、なんとなく『みちのく』(裏は座席指定)『準急』などを100円ぐらいで買った。家に帰って壁に釘を打ち早速「なんじゃこりゃ」的に飾ってみた。ついでに地図帳を開いて常磐線を調べたりした。こうしてガラクタを入手しその履歴を調べ勉強するのは今も昔の「オンナス/同じ」なのだ。僕は鉄道マニアではないからその後サボは誰かにくれてやったし、準急や急行の小さなサボは「ズデンコ/自転車」の飾りにして捨ててしまった。この他、生内商店からは蒸留水が入っていたという巨大なガラスビン容器、変電所が廃棄した大きな白いガイシ、意味不明の機械の制御板から外した計器など様々なものを買って部屋の飾りにした。

 その頃、家の茶の間にあった手巻式の柱時計が電池式壁掛時計になったので、古い時計が要らなくなった。この時計でアートできないかと思案し、色々考えた結果、外装、内装、文字盤とも真っ白に塗って数字のない時計にした。部品をバラしてペンキを塗るのは簡単だったが、ガキのくせに喫煙量が多かったため「マッスレー/真っ白い」時計はすぐにヤニで黄色になった。ヤニで「キイログ/黄色に」染まった時計はアートというより「ソピタレデ/みすぼらしく」見えたので、再度時計を分解し今度は機械部部だけを取り出してそれを直接部屋の柱にネジ止めして振り子と針を付けゼンマイなどのメカ丸出しの「なんじゃこりゃ」時計とした。これは部屋を訪ねた友人らにも好評で、何人かが真似をしたという報告を聞いた。

 何がかっこよくて何がダサいのかは最終的に客観的になった自分が決める。周りが何を言おうと自分がいいと思ったらいいし、ダサいと思ったらそれまでだ。今でもそのスタイルは変わらない。いいなと思ったものをそれなりの値段で買う。それらを転売して儲けたことはほとんどない。そして今日も僕なりの「なんじゃこりゃ」を探している。

懐かしい宮古風俗辞典

なにまだ

宮古弁会話における味付け的言葉。共通語の「なに?また?」とも取れるが、含みはもっと広く日本語的・方言的基本分類はかなり難しい。

「ナニマダ」は会話する相手に事の顛末の原因を最初に提示する目的で使われることが多い。宮古弁で言う、過去の自分や相手の失敗の原因を「だってそうでしょう、だから言ったでしょう…」的な意味合いで使われる補い的な接続詞だ。会話の中では第三者による質問に対して、解答する場合、事象報告や顛末報告の前の先頭で使われ「だって」「なぜなら」という半断定的含みをもたせたうえ、事の事象を説明する時に使われる。  こうして言葉の成り立ちや使われるシーンを考慮しながら説明すると小難しいが、宮古人はこれを昔からのコミュニケーションで理解するようだ。最近の若者たちはある程度の方言は使うけれど「ナニマダ」的な宮古地方特有のひねくった方言会話は少なくなった。動詞や形容詞などの面白可笑しい宮古弁もよいが、言わば宮古弁であり、なおかつその活用シーンも宮古流の超宮古弁は貴重と言えよう。「ナニマダ」はそんな宮古弁なのである。

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