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2014/07 世の中ってあやふやなことだらけ

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 世の中には科学では説明のつかないことがあるという。僕は科学万能でもかまわないし神秘主義オンリーでもかまわない。理論で固めても実際にはこの目で見えないし、被験者の話がいくら「ホントーラスクテモ/現実的でも」所詮は誰かの受け売りだったり半分創作だったりする。だから信じる信じないかは聞き手の自由だ。今月はそんな意見を踏まえて話しを進める。

 その昔、友人は国道106号線区界峠附近で『キツネの嫁入り』を見たという。その頃の友人は家業の魚屋を「スケデ/手伝って」いて「イズバ/宮古魚市場」に揚がった魚をトラックで盛岡へ「クパッテ/運んで」いた。季節は初冬の夜だ。盛岡からの帰り道「カブトミョウズン/兜明神岳」を左手に見る直線道路付近にさしかかると、視界の「ハツパス/端」にぼんやりと灯りがちらつく。ハンドルを握りながらふと、その方向に目をやると山腹とおぼしき附近に十数個の提灯の「ミッテーナ/みたいな」灯りが見えた。彼は路肩に車を止め同乗していた仲間とそれを目視で確認した。灯りは大きくなったり「ツツコマッタリ/縮んだり」を繰り返し、指さし数えるてみると19個を確認したという。辺りはまだ雪の季節にはなっていなかったが、これが噂のキツネの嫁入り?まさか…。「モスカスタラ/もしかしたら」「ヨンマノ/夜の」登山「ナンデネーノ/なんじゃないの」と強引に納得し合って現場を後にしたという。

 その昔、遠野あたりで民俗調査の取材をした時に、若い頃「キツネの嫁入り」を見たというおばあさんに会って、現地に同行してもらって話しを聞いた。そこは小さな沢沿いの「ヘコタミ/窪地」で「ボクサッタ/朽ちた」丸木橋が架かっていた。附近は雑草だらけだの何の変哲もない藪だった。おばあさんの話しによると若い頃「ヤマカセギ/山仕事」が遅くなり里へ向かってこの沢沿いの道を歩いていたらシューっという音が聞こえてきて、目の前の藪にポッとピンク色の火が灯った。そのうち火は藪の至るところに立ち上り大きくなったり小さくなったりしたという。おばあさんはきっとキツネに化かされているのだと思い走ってその場を立ち去ったそうだ。これはおそらく動物の死骸や腐葉土が分解されメタンガスのような引火性の気化ガスが発生し何らかの原因で引火したものと思われると結論づけたが、ではその引火の原因が何であるかがわからない。テレビでよく見る某教授のようにプラズマ説で片づけるわけにもゆくまい。

 狐狸のたぐいが人を化かすという話しは昔からある。もうずいぶん前に亡くなっているが僕の母方のじいさまが話してくれたこんな話しがある。昔、花輪橋の袂にある農家を訪ねた帰り、ほどよく酔っぱらって土産にとその場で締めた鶏を貰いそれを腰に「ユッキッテ/結んで」農家を辞した。時間はすでに夕刻を過ぎ辺りは薄暗くなっていた。じいさまは木造の花輪橋を渡り上鼻あたりの夜道を歩いていると、風もないのに前方から新聞紙がひらひらと飛んできてじい様の足にまとわりついた。「ドースコノスンブンニカガッテ/ちくしょう、この新聞紙野郎」とまとわりつく新聞を「ケッタグッテ/蹴りまくって」暗闇に飛び去る新聞を見てやっと歩き出した。ほろ酔いだったけれど自宅に着く頃には酔いも醒め玄関で、土産の鶏を奥方に渡そうとしたら腰の鶏は消えていた。「アーリイエエイ/なんてこった」あの「スンブンズ/新聞紙」がキツネだったか…推測したんだとか。

 狐狸のたぐいと言えばこっくりさんがある。たしか中学校の頃(昭和40年代後期)に流行って高校時代にはクラスに名人がいた。当時流行っていたので最新トレンドと思っていたが、こっくりさんの歴史は意外と古く大正時代には占いとしてすでにあったらしい。世の中が戦争や恐慌で廃れれば似たような占いのたぐいは全世界的に流行し、世の中が落ち着けば終息するのを繰り返すのだという。さて、こっくりさんは当て字で狐(キツネ)狗(イヌ)狸(タヌキ)と書く。すなわち動物の霊力を使う占いとされ降霊させ粗末に扱うと祟ると脅かされた。占い方法は箸のような棒を三脚状に立てて3名の参加者が指を添えて降霊し、未来の事象をはい、いいえで答えてもらうとか、50音や、はい、いいえなどの文字を書いた大きめの紙に10円硬貨を置いてやはり参加者3名が指を添え降霊し、文字盤を動きながら質問に答えてもらうというものが基本だ。降霊において霊感が強いとされる人が「こっくりさん、こっくりさん、西の窓が開いております…」などと呪文を唱えると10円玉が「ヒトリステ/ひとりでに」動きだし文字で解答を得られるという。「こっくりさん、×組の○○さんは×組の○○くんのことが好きですか?…」と問い掛けると、三人の指が乗った10円玉が「はい」の枠へと移動する。まっ、これは何のことはない霊感が強いと自負している人がその気になって先入観で10円玉を導くもので、恋愛関係の問いが多いことから多感の少年少女の占い遊びであり、真実味を強調させるため呪いや祟りの話しを加えて心理的効果を狙っている。ちなみに高校時代クラスにいたこっくりさん名人は霊が降りたとかで凄い勢いで10円玉を操り複雑な解答を出していた。僕はその光景を何度か見たがその役者ぶりに舌を巻いた。卒業後に偶然都内で会ったら、相当危険な有名宗教団体に所属していた。その後、会っていない。

 見える人には見える。と昔から言うが、意外に多いのが「タマスー/魂・人魂」目撃談だ。江戸時代の本にも火の妖怪変化は多く描かれていることから、人魂は昔からある現象らしい。しかしこれは、前述のキツネ火のようなたぐいとは異なり、近々死者が出る家の側で目撃されたり、墓場などを飛び回る鬼火として語れる。死は次の世界へ行く出発式のようなもんだけれど、やはり死はすべての終わりというイメージが強い。けれど葬儀を前にしたお通夜の席では、湯のみ茶碗が割れたり、線香が急に燃えてハゼたりとやたらと怪異現象が起きたりする。遺体を病院から家に「クパッタ」夜、遺体と「オンナス/同じ」部屋で寝ていると死んでいるはずの母が明け方に起きてきて寒かろうと布団を直してくれたとか、寺の門前の家では、深夜に玄関で「オドコ/音」がすれば近いうち男の葬儀が、台所で水を「チョース」「オドコ/音」なら女の葬儀があると予感するという。どこまで本当でどこからウソなのか。世の中の巨乳とはどの大きさから巨乳なのか、ハゲはどの程度毛がない状態を言うのか…。世の中ってあやふやなことだらけなんだなぁと改めて思うのであった。

懐かしい宮古風俗辞典

たがらむすこ

家宝のようにそう簡単には人前に出さない、出せない、見せたくないという息子。

昔の父さんたちは自分の息子を他人に紹介する時、こいつが「オラガエーノ/自宅」の「タガラムスコデゴゼンス/宝息子です」とにこやかに紹介した。ただしこの場合、息子は幼児ではなく小学生ぐらいの少し小生意気な年頃の少年だ。紹介された息子も「オラガンケーネー/オレには関わりない」というような「フグレツラ/不機嫌な顔」で愛想もない。ここで言う「タガラムスコ」の「タガラ」は宝、すなわち大切で高価な俗に言うお宝のような息子という意味ではなく、大切なお宝ゆえ、そう簡単に他人様の目に触れる所には出せないという意味だ。すなわち、通常なら家宝なんて御開帳することはない、できたらお宝として封印しておきたいぐらい、出来の悪い息子なんです。というもの凄く遠回しの表現だ。が、しかし、現時点では出来の悪い子と言っても子供には無限の可能性があり、将来はその家を益々繁栄に導く本当の宝息子になる可能性もあるわけで、父さんの心情は見せたくないといいながら、本当は「メンケー/可愛い」お宝息子なのであった。ちなみにこの表現は男児だけで、将来嫁に行ってしまう女児を「タガラムスメ/宝娘」とは言わない。

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