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2014/02 己の性格を振り返って反省する

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 正月気分なんて元旦の夜には抜けきって、翌日にはいつも通りの仕事をしなければなりません。しかし、今年からそんな状態を「イソガスー/忙しい・多忙」と言うのはよそうと思います。かの岩手が生んだ花巻の詩人にして哲学者・宮澤賢治先生も「サベットレンスガ/申しておりますが」人に聞かれて「ナニモカニモイソガスー/何もかも忙しい」と語ることは、自分が他の人より何かと期待され、仕事を仰せつかっている偉い人間であると言っていっるようなものであり、これは無意識に「ズマンペ/自慢して」いるというのです。従って相手より数段「イソガスー」ということを主張するということは自分はあなたより偉いと言っているようで誠に「カバスグネー/かんばしくない」のだそうです。仕事が重なったり用事が重複したりして「ナンボー/幾ら」時間があっても「タンネー/足りない」と我が身の状況を嘆いても、その原因は後先も考えずに安請け合いした自分が悪いわけで「イソガスクテ/忙しくて」当たり前なのであります。だから「スカメツラデ/しかめっ面」で愚痴をこぼし「アーリイェイ/こんちくしょう」と罵詈雑言を発しながら「ハセマワル/走り回る」のはもうやめにして「イソガスー」のが日常だと思ってしまえばいいのです。どうせ追い込まれても誰も助けてはくれません。自分で立ち向かって片付ける、仕事とは本来そういうものです。

 この頃歳のせいなのか、今頃になって震災の後遺症なのかわかりませんが、最近ふと自分が「トソッテ/年老いて」からのことをよく考えます。これからの人生において自分が自分の意志で自由に使える時間は「トペンコ/ほんの少し」ですから何気なく過ぎ去る日々を有意義に使いたいと思ったり、周りの人に迷惑がかからぬようひっそりと最後の時を迎えたいと思ったりします。それでも若さとというか張り合いも「デーズ/大事」ですから「ナンボーンナッテモ/幾つになっても」夢や希望は捨てずに持ち続けるよう心がけるようにしています。けれどその気合いとは裏腹に、身体と脳みそは冷蔵庫の野菜室で「スナピケデ/しなびて」ゆく「タマナ/キャベツ」のようにどんどん衰えます。40代の頃は「モノワッセー/物忘れ」もちょっとした「ワレーバナス/笑い話」でしたが50の坂を転げ落ち、近頃は重度の健忘症状態でつい「サキカダ/先程」のことすら記憶に残りません。体力も同じようなもので、たしたことのない「ビンコ/ビン」のフタも「アガンネー/開封できない」し、指先の筋力も落ちて納豆のタレの小袋もハサミがないと切れません。老眼も進み裸眼ではスマホの文字なんててんで「メーナゴゼンス/見えないのでございます」。こんな状態で夢や希望を持ち続けても実現なんてしませんし、もし実現しても「今更願いが叶ってもな…」と老いて「ボクサッタ/ボロになった」自分を嘆くだけのような気がします。そんなわけで、夢や希望も年々「スポマッテ/縮んで」昔のように大それた夢物語は語れなくなり、何かにつけて何と言っても健康こそが一番だと悟ったようなことを口にします。

 思えばこの歳になるまで多くの人に「ワリーゴド/悪いこと・傷つけること」をしてきました。少年時代の「ノラカス/冷やかし」にはじまり、ささいな行き違いで「クズゲンカ/口論」になり気持ちをセーブできないまま激論を交わし「スメーニハ/仕舞には」「ガガッテイッタ/殴りかかった」こともあります。今はすっかり温厚になったつもりでおりますが、未だに口を開けば毒を吐き周りの皆様に迷惑をかけているのが現実です。誰かの言葉に対してゼロコンマ何秒で返し言葉が浮かびそれにフィルターをかけて堰き止める間もないまま「スッペースタ/失敗した」と頭では思いつつ口に出してしまいます。よく言えば機転がきき、悪く言えば無神経です。こんな「クセガワリー/一癖ある」ような性格では老後、誰も介護してくれないと思います。これからは相手も自分も心地良く介護し、またはされることを前提に今までの性格や癖も修正しなければなりません。自分的にはまだ大きな病気もしていないし、あちこち痛んでいるとは言え身体もなんとか動きますからいい気になっていますが、本当は深刻な問題なのです。これからは「サベリッタクテモ/話したくても」これを押さえて口にせず、文句や意見、批評や思いつきはすべて心の中で反芻しながら細かく砕いて飲み込むようにします。おそらくストレスは溜まりますがきっとこれも人生における晩年の修行のひとつなのだと思います。「ゴセガヤゲル/どうしても腹立つ」と煮えたぎった怒りや不満も何日か寝て冷静になれば醒めるだろうと諦めるしかありません。

 人の人生なんてまさに誰が言ったか諺の「光陰矢の如し」です。昭和33年の春、今は無き村井産婦人科に於いて放たれた自分という矢はそろそろ失速しながら的に当たることでしょう。思えば少年時代、青年期を過ごし、社会人になってこのまちで暮らし、多くの人と知り合いそして別れました。都会の学校で出会ったあの頃の友人知人の顔も今でははっきり思い出せません。けれどもの凄く長い月日が流れたような気がしますがほんの一瞬だったのでしょう。そして今まで生きてきて多くの人の最後に立ち会い見送ってきましたがその都度、人生の到達点ってこんなもんかと思ったり、ここまでくるのは大変だったろうと思ったりしました。

 自分を形成する遺伝子情報のアンカーである自分は今日もたったひとりでとぼとぼとグラウンドを回り与えられた時間を消費しています。観客もいなければライバルもいません。それは地獄の閻魔王朝にあるという寿命のロウソクの火が消えるまでこれからもずっと続きます。

ためになる宮古弁風俗辞典

いでぇかりー

痛い、痒い。転じて体中あちこちに病があり、それを治すためあちこちの病院にかかること。あるいは幾多の病気に患っておりその不満を言うこと。

宮古弁は京都弁の名残を汲むと言うが、それはありがとうを意味する「オオキニ」という言葉が似ているだけで方言の流れや組み立ては京都弁ではない。確かに日本全国で使われる方言の根底には日本の中心であった京都発信の雅な古語が転訛したものも多く語源を手繰れば公家や御武家言葉の場合もある。しかしそれらは古い時代の日本語が残されたものであり京都の方言である京都弁ではない。だが、しかし、宮古弁の中には京都弁風の皮肉な意味を含むものがある。今回の「イデーカリー」もそのひとつで、字面からの意味は「痛い」「痒い」ではあるが、これは身体のあちこちに病気があってそれぞれの患部がそれぞれの違和感を主張し患者が痛いとか痒いとか不満を言う状態を表している。平たく言うと「ビョーキタガリ/病気だらけ」の状態であり、それを治すために様々な治療を行っている状態だったり、複数で複雑な病名を相手に伝える表現なのである。

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