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2013/09 この子にして、この親あり

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 どの時代を生きていても思うのだろうが、自分が子供時代に見た大人の年齢に達すると不思議な気持ちになる。もう亡くなって何年にもなるけれど「ナニガゼーバ/ことある事に」いつも怒って「ベーリ/ばかり」いたオヤジの年齢に自分が達すると、なるほど無意味に怒るのも無理はないなと納得したり、あの時代「ナーステ/どうして」オレを解ってくれないんだ!と嘆いていた自分が、あの甘さでは誰だって解ってもらえるわけないよなと納得したりするものだ。それは自分が年をとり経験値を重ねそれなりに成長した証しなのだが、なんだか自分はまだ未熟のままこの地点に到達したような妙な気持ちになる。

 ところで僕がまだ子供だった頃の50代の「オンツァン/おじさん」はもの凄く「トソッテ/年を取って」いたように思う。印象とすればベージュっぽい色の作業服に作業ズボン、背は低くガニ股で髪はかなり後退していて顔や頭皮はシミだらけ、そこにエンジ色に稲穂のマークが入った農協の「サッポ/帽子・キャップ」なんか「カブッテ/被り」足元は雨も降っていないのにいつも光沢がなくなった「ナガクズ/長靴」を履いていた。夕方になると近所の酒屋に「ササッテ/たむろして」同じような「オンツァン」らが集まって「モッキリ/コップ酒」を「タボスナンデ/僅かずつ」煽っている、そんなイメージだった。昭和33年生まれの僕が小学校4年(10歳)としてその頃に50歳だった人は、なんと大正7年生まれだ。60歳なら明治41年生まれだ。彼らは強い道教思想のもと帝国主義の軍国思想で育てられ、天皇陛下絶対主義の中、多くの人が徴兵され従軍し太平洋戦争敗戦後には民主主義に転換し高度経済成長の中で一翼を担った「ヒタヅ/人たち」なのである。今、2013年にこの人たちが生きているなら当時50歳の人が95歳、60歳の人ならなんと105歳だ。失礼ではあるが明日にでも「オムゲー/あの世のお迎え」がきてもおかしくはない年齢だ。

 自分が子供で世間を知らない状態のまま親から抑圧されていた時代もあった。親は自分が説明できなくなると都合良く嘘をついて、それを追求するといつも怒った。そしてもっと勉強しろと「アダマゴナスニ/頭ごなしに」怒鳴っていた。考えてみれば勉強が好きな子供なんて世界中どこを見てもそういるものではない。進んで勉強する子供も本当はいない。だいたいにして勉強は何のためにするのか?テスト対策か?じゃぁテストは何のためにやるのか?学力を調べるためか?じゃぁ調べてどうする?頭のいい人を選出するためか?じゃぁ選んでどうする?選んだ人を集めてまた新たにテストするためか?じゃぁテストは何のためにやるのか?…。これでは堂々めぐりではないか。いつもこんなことばかり言うので、親にも先生にもお前はへ理屈だけは「イズニンメーダ/一人前だ」とサジを投げられた。

 戦中派と称する、彼らの口癖は戦時中の貧困時代や学校教育の不憫さを語るものが多く、言っては悪いけれど自分は勉強「スッタクテモ/したくても」できなかったとか、食いたくても「ケーナガッタ/食べられなかった」という降りかかった不幸を戦争に「カツケル/せいにする」のであった。確かに戦争という事件は多くの不幸や悲劇を生むし敗戦国の経済はどん底であったろう。学校へ行っても夏は毎日「ミズアベ/水泳」だった、朝からずっと「エッコベーリ/絵ばかり」描かされた、校庭を耕して野菜を栽培した…などなど今の教育環境から見れば大変な苦労をしている。戦後は占領下で混乱した経済の中、天皇や軍国を意味する表現がある教科書に墨を塗り思考回路の変換を強要されているのだ。その時代から見たら「オメーガドー/お前たち」は何の不便もない環境で勉強できるだけでも幸せだと言う。「ダッケーニ/だから」勉強ができて当たり前だという、何で0点とか15点しか取れないんだ「コノ、コバガモノガ/この馬鹿野郎が」と怒る。しかし、考えてもみよ、諺にもあるように「鳶が鷹を生む」などそうめったにあるものではなく「蛙の子は蛙」なのである。「この子にしてこの親あり」頭が悪くへ理屈をこねるのは先祖から受け継いだDNAで「ゴゼンス/ございます」そりゃ、親が喜ぶならテストで少しでもいい点を取ってみたいものですが夢のまた夢、その気持ちだけで勘弁して「クタセンセ/くださいな」

 高校時代の夏休み、バイトにも行かず家でグダグダしていたら、夏の高校野球で奮起している選手たちを見てオヤジが言う。「コレヤガドーハ/こいつらは・この選手たちは」お前と同じ年なんだぞ、なのになんだお前は…情けない。しかし、それを言うならあんただって同世代の政治家や有名人もいるじゃないか。オレだって言いたいよ、もっと金持ちの家に生まれればよかった…。でも、そんなこと親の前で言えないでしょうが。

 そんなへ理屈で固めた人生を50と数年歩んできました。あの頃の親の年を通過し、今では自分が子供らに説教しては悦に入っております。昔の50代の「オンツァン」よりは若い格好をしておりますが、時代に置き去りにされている寂寥感は感じます。あれほど勉強を強要した親たちもすでに介護の床に伏せり、アルツハイマーと共存しております。人の世、人生50年と申しますがまさにその通り。天帝がアクビして居眠りする一瞬みたいなものです。

ためになる宮古弁風俗辞典

そーどーかっけーらぐ

表現しきれないぐらい大変な大騒動を起こすこと。ちなみに「ケーラグ」は「壊落」と書いて崩壊して落ちること。転じて大地震同様の大騒動の意味か。

宮古で長く暮らし、20代からこの宮古弁の原稿を書いて早、30数年も経つのだが、未だに聞いたことのない宮古弁に遭遇することがある。あまりに聞いたことがないのでそれらはごく少数のエリアでしか通用しないとばかり思い、つい軽く見ていると、なんとまったく別の人があまりにも普通に使い、その会話に参加している人たちに問いただすとみんなが知っている宮古弁だったりする。今回の「ソードーカッケーラグ」もそんな宮古弁だった。さほど慌てるほどでもないちょっとした出来事に接し、まるで冠婚葬祭並に事をあらだてて、終いには付き合いの縁を切るとか言いだし、誰が説得しても応じないそんなお騒がせの人がいる。そん人に振り回され大騒動に付き合わされたりすることを「ソードーカッケーラグ、スター/大騒動してしまったと言うらしい。御察しの通りこの宮古弁は鍬ヶ崎地区で遭遇したもので往々にして口が悪い浜風土もあるが、過去何度も地震や津波災害に遭ったまちだからこそ絶滅せずに残った宮古弁かも知れない。

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