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2011/12 少年はヒゴノカミを握って冒険を夢見る

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 はるか昔の話しだが僕が少年だった昭和40年頃、当時のほとんどの少年はヒゴノカミという折りたたみ式のナイフを持っていた。ヒゴノカミは漢字だと肥後守でその名はプレス加工されたナイフの柄の部分になにやら製造元のマークような模様と一緒に刻印されていた。ナイフは先端が「ツットガッタ/尖った」鋼の両刃で、刃の尻部分に刃を動かす突起があってここを中心に鞘から180度回転させて止まる仕組みになっていた。鞘と刃はけっこう「ガフタラ/サイズが合わずぶかぶか」でポケットの中に入れておくと刃が出たりしてポケットが「ブッツァゲル/破れる・穴が開く」こともしばしばだった。鞘には「ヒモコ/紐」を通す穴があってここにたこ糸や太い「メンス/綿糸」を通して首からぶら下げるのが正統スタイルだった。

 そもそもこのナイフは戦前から「エンペズ/鉛筆」を削るため筆箱に入れた切り出しナイフと同様に文房具として「エンペズケズリ/鉛筆削り」用に広く出回ったものだ。それが戦後になりプラスチックと新素材の薄くて硬質の刃を持ったナイフにその座を奪われ、もっぱら少年たちの野外用のナイフとして愛用された。ちなみにその薄刃のナイフも機械式の手回し「エンペズケズリ」に座を奪われ、それも機械式から電動式に座を奪われ、さらにそれもシャープペンシルという替え芯式の筆記用具の出現で姿を消した。

 さて、文房具から野外用のナイフとなったヒゴノカミだったが刃は「ワラス/子供」が使うことを前提に安全性を重視し、通常の刃物のように鋭利に研がれたものではなく「ボッポゲ/ぼやけた切れ味」で刃自身も焼きがしっかり入った鋼ではなかったから子供達が工作用に買ってもさほど問題なかった。それでも使い方を間違えれば手も切るしそれなりに殺傷力も充分にあった。当時は現在よりかなり低いレベルで危険性と安全性のせめぎ合いがあり「刃物だもの手だって切れるよ」といういい意味で道具を使う人の良識にまかせていた古き良き時代であろう。その頃ヒゴノカミを売っていたのは僕の記憶だと学校の近所の雑貨屋ではなく、新川町のシマヤ、扇橋のイソノ、中央通りのシムラだったような気がする。なぜか少年は昔から武器となるナイフやピストルが好きでピカピカに光るヒゴノカミや、刃とは別に小さなノコがセットされた二枚刃の改良品に憧れた。そんなナイフで難関や危機を乗り切って冒険するのが少年達の夢見る空想だったような気がする。

 そんなある日、いつものように近所の山を「ハッサリッテ/走り回って」遊んでいたら救助を求める仲間の声が聞こえた。その声は「ナギツメカイダ/泣いた」ようなくぐもった感じで山の斜面に段々にある小さな畑の向こうから聞こえてくる。その声をたよりに現場へ行ってみると、なんと仲間一人が山の斜面に作られた「ズキタメ/肥溜め」にはまり身動きがとれなくなっていた。彼は腰ほども深さのある「ズキタメ」の中で格闘し何かに捕まってそこから這い出したいのだった。「ズキタメ」はよく見る板やセメントの「キッツ/わく」などなく地面に穴を掘ってそこへ家の便所から汚物を運び溜めただけのもので満杯なうえに落ち葉がかぶさりそこに「ズキタメ」があることを知るのはその穴を掘った本人のみぞ知る、まさに山中に仕掛けた地獄のトラップだった。「ハヤグタスケデケロー/早く助けてくれ」と差し出す彼の手はとてもこの世のものとは思えない状態だし、彼が身動きする度に真空状態のような不気味な音を発し、辺りには「ハナガヒンマガル/鼻が強烈に曲がる」もの凄い悪臭が立ちこめ、その状況では誰も援助の手を出せないのだった。

 そんな時だった。リーダ格の少年がポケットからヒゴノカミを取り出した。「ヨス、コレデ、ササダゲーキッテ、タスケッペス/よし、このナイフで笹竹を切って助けよう」と言うのだ。彼は手間取りながらもノコ付き二枚刃のヒゴノカミで近くの藪から数本の笹を切り出した。すかさず笹の葉っぱ部分に「ズキタメ」に落ちた仲間をつかまらせ、数人の仲間でそれを引っぱり上げた。ズボ、ヌチャ、ベチャ…と不気味な音をたてながら仲間は半べそ状態で「ズキタメ」から救出された。しかし、汚物にまみれで泣きじゃくる彼を見て安心したのかリーダー格の少年は「クセークセー/臭い臭い」と笑い走って逃げ出した。つられて僕らも「クセークセー」と「ノラカシナガラ/バカにしながら」その場から逃げ出した。その後汚物まみれの彼がどうやって家に帰ったのかは誰も知らない。

 漂着した無人島でヒゴノカミを握り苦難やピンチを切り抜ける…。そんな少年の淡い空想は山の「ズキタメ」から仲間を救うという現実となって記憶に刷り込まれ、その後竹とんぼやチャンバラごっこの刀を「コッサグ/工作する・拵える」時にヒゴノカミを握ると容赦なくその光景と「カマリ/臭い」を思い出すのだった。

 ヒゴノカミはその名の通り肥後が現在の熊本県をさし、守(かみ)とは武士の官位だ。肥後守とは秀吉の家来であり虎退治で有名なご当地の武将・加藤清正のことかも知れない。しかし、ヒゴノカミの生産のほとんどは刃物で有名な兵庫県堺市なのだという。

 少年時代、市内中を何度も引っ越しした僕の小さなおもちゃ箱には「ラムネ/ビー玉」や「バッタ/めんこ」に混じり刃が赤く錆びた数挺のヒゴノカミがあって毎回引っ越しを共にした。しかし、それらの宝物は中学に入る頃まで確かに存在していたと記憶するがいつの間にか「ドゴサガ/どこかへ」いってしまった。その後、少年は漂流した無人島でサバイバルするよりも、身近な女の子の身体へと興味の方向が変わってしまうのだった。

懐かしい宮古風俗辞典

よす、はぁ

話のつっこみどころ、話題のネタや本筋が判明したところに入れる合いの手。相変わらずですね…的な意味で使われる。

 宮古弁というより、宮古風の会話というのがあると思う。これは方言同様に地域色があって主語や動詞、形容詞などの順序や置かれる位置、その流れや抑揚、早さなどだ。まぁ、それらを含めて「お国訛り」と言うのだろう。岩手にも沿岸と内陸、北部と南部では言葉が違うのだが、彼の地から見ればどれも同じような東北弁に聞こえる。僕たちが関西弁として認識している吉本演芸的浪花言葉も厳密には細かく分類されるのだろう。そんな、日本の幾多の方言会話文化の中に、合いの手的なものがある。これは情報や物語を伝達する人とそれを聞く人との間にあるコミュニケーションとなる言葉であり、簡素で短いが複雑な心理的含みを持っている。それが宮古風会話の中頻繁に出てくる「ヨス、ハァ」であろう。これは「ヨス」は良しを「ハァ」は次の話に対する誘導と催促と考えられる。また「ヨス、ハァ」に「ヤッテダァー/いつも通りやりやがった」を追加すると、ちょっと落胆的要素が加わり、話しの内容に笑いの要素と失敗や不幸の要素が加わる。「ヤッテダァー」はそれ単独でも使われ「ヤッテダァー、ハァー」で相手の失敗を見聞する過去完了形として使われる。宮古弁って簡単そうで、やっぱ奥が深い。

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