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2011/01 映画観賞はエッチシーンに期待して

提供:ミヤペディア
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 今月も先月のジャズ喫茶に続いて昭和40年代の「ミヤゴマヅ/繁華街」を振り返ってみよう。あの頃はテレビが普及したとは言え映画は大衆娯楽の王道で「ショーガヅ/お正月」は家族揃って第二常磐座で寅さんを観るのが恒例だという家もかなりあったし、義理人情の任侠映画、斬った張ったのやくざ映画を観ては「ナッターキーステ/その気になって」肩で風を切る「ハンカクセー/中途半端くさい」「ワゲーモン/青年」も多かった。そして「ワラスガドー/子供たち」は夏・冬各休みに上映される怪獣や「マンガッコ/アニメ」の豪華三本立てチャンピオンシリーズを楽しみにしていた。その頃の僕は中学一年で怪獣映画は卒業しており、かといって任侠映画のニヒルさを堪能できる知識もなかった。そんな時、友人が『スクリーン』という映画専門雑誌を買ってきた。巻頭グラビアにはカラーでアランドロンとかカトリーヌドヌーブなどの写真が載っていて、内容は新作映画の紹介と評論、スターのグラビアやインタビューなどが中心だった。

 中学校に入って映画を家族同伴で観ることはなくなった。思春期になり親と同伴で出歩くのは「コッパズガスー/もろに恥ずかしい」し、大画面で繰り広げられるラブシーンは自分だけで観たいし、ついこの間までゴジラだガメラだと大騒ぎしていたのにいきなり映画の好みが変わったのを知られるのも「オショースー/恥ずかしい」のだった。

 さて、友人が仕入れてきた映画雑誌によると第二次世界大戦の日本海軍による真珠湾攻撃を題材に日米共同で制作された戦争映画『トラ・トラ・トラ!』と、未完の小説を原作として映画化された直毛ロン毛美女アリ・マッグロー主演の恋愛映画『ある愛の詩』が話題作として載っていた。両作品の解説を読んでみると迫力の戦争映画と、もしかしたら「エッツ/エッチシーン」もあるかもしれない恋愛映画ということは判ったが、いかんせん宮古での上映はロードショーでなく封切り後数ヶ月してからの上映だった。

 雑誌掲載から数ヶ月後まずは宮古国際劇場で『トラ・トラ・トラ!』が上映となった。僕たちはその他友人たちも誘って「ズデンコ/自転車」で映画館に向かった。篠田旅館と宮古国際の間にはアーチが掛けられ連合艦隊総司令官山本五十六役の山村聰の巨大な顔と空母や艦載機、トラ・トラ・トラ!の文字が大看板になって掲げてあった。モギリで事前に入手した優待券と生徒手帳を見せたが15歳以下の中人料金なので優待券の割引きはなかった。同時上映は何の映画だったか忘れたが初めて大人同伴ではなく、友だち同士で真っ暗な館内へと入り「スコース/少し」大人気分を味わったのだった。

 数週間後今度は『ある愛の詩』がやはり宮古国際で上映となった。クラスでは女子らの間でもその映画は話題になっており「ゼッテー/絶対」観に行くという女子もいた。しかしながら女と映画を観るほどスキルを積んでいない少年らは不細工にも男同士で『ある愛の詩』を観に行ったのだった。一緒に行った友人はかなりの近眼で字幕が「メーネー/見えない」というのでかなり前に座った。入館すると時間的にも丁度いい感じで映画が始まり主演の大学生役のライアンオニールがホッケーをしているシーンだった…。そして気付いたら雪の上で男女が抱き合っているシーンだった…。どうやら女が病気で…。はたと気付いたらエンドロールだった。僕は気持ちよく寝ていた。そして悟った。さしたる恋愛もしたことがないのに恋愛映画観てもつまらない「エッツ」シーンに期待した自分がバカだったと。その後同映画のサントラを聴く度に映画館で寝たことを思い出すのだった。

 そんな失敗があり映画を観るときは事前に映画雑誌の立ち読みで情報収集をすることにした。そして少年の洋画事始めは順調に進み三船敏郎も主演格だった『レッド・サン』イギリス映画の『小さな恋のメロディ』『フレンズ』『ロミオとジュリエット』そして『ゴット・ファザー』盛岡中劇まで観に行った『エクソシスト』へと続く。フレンズでは期待通りのエッチシーンもあり満足したし、高校入学後の『燃えよドラゴン』や『エマニエル夫人』は一度観てから同時上映もはさんで次の上映まで観たほどに熱中した。しかし、少年の心にはいつも成人映画への憧れがあった。当時の第二常磐座や宮古館で上映した団地妻シリーズ、女子大生マル秘レポートシリーズ(なんとドイツ映画)、温泉芸者シリーズ…。などなどあの頃は何の制限もなく縦長の裸ポスターが町中の路地に立っていた。洋画専門の国際劇場でも数ヶ月に一度は外国のポルノ三本立ても上映していた。情報によると国際劇場の裏のトイレの窓から「ペロンコ/忍び込み」できるという情報もあった。募るスケベ心には勝てず旧文化印刷の裏から回って友人とその窓を見上げたこともあった。その後、ひょんなことからこの仕事をはじめ、本誌の丁合や背綴じをしながら中庭の先に見える国際劇場のトイレの窓を見るたびに、当時の自分のスケベ心を思い出すこともあった。宮古国際劇場、宮古第二常磐座、宮古館、宮古東映などの映画館の灯が消えてもうかなりの年月が経った。現在は岩手生協マリンコープDORA内にあるシネ・マリーンが映画館なき後に登場した唯一の上映館として営業し市民に映画を提供している。

懐かしい宮古風俗辞典

やーらすり・やっかかし

旧正月の行事。おもに津軽石地区に伝承したもの。そば殻や豆殻、籾殻を枡に入れ神棚に捧げた後家の周りに撒き、餅や豆腐を竹に刺し松ヤニで焦がしたものを家の四隅に立てて豊穣を願う民間信仰行事。

十年以上前前に昔の正月を取材するため数人の老人を集めて座談会をした際、津軽石出身の老人が「ヤーラスリ」と「ヤッカカシ」について話してくれた。それによると正月十五日に津軽石ではそば殻、籾殻などを枡に入れて神棚に上げたあと「やーら来る来る飛び来るよ、恵方(あきのかた)から銭こも嫁こも飛んでこー」と大声で唱え唄いながら籾殻などを撒いて豊作を祈願したという。また、餅や焼き豆腐「トガラ/小魚」を挟んり刺して松ヤニで黒く焦がしたものを家の四方に立ててカラスや獣に食べさせ豊作を祈願したという。老人の話によると自分が子供だった頃、津軽石稲荷橋の懸架工事のため現場で年を越した人夫たちが津軽石で繰り広げられる「ヤーラスリ」や「ヤッカカシ」の奇祭を見て大笑いしたのでとても恥ずかしかったそうだ。この行事は節分の鬼除けの行事と小正月の豊作祈願行事が混同したものと考えられ津軽石では戦前頃まで行われ、現在はほとんど伝承されていない。

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