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2010/01 懐かしいお正月の行事

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 飲んで食ってテレビ観て無造作に時間が流れて終わり。そんな最近の正月風景だが、ひと昔前までは港町宮古にも特徴的な正月行事があったわけで、今月はそんな懐かしい正月風景を、とは言え元旦も過ぎたことだし1月15日の小正月を思い出してみよう。

ナモミ

 もう正月が過ぎたというのに「ロブヅ/囲炉裏」やこたつで毎日「ネプカゲ/居眠り」して正月気分が抜けない「セッコギモン/怠け者」の精神を叩き直すため、小正月の夜、異形の姿をした来訪神「ナモミ」がやってくる。「ナモミ」は鬼や「オガグラ/神楽舞」で使う異形の面にワラ蓑姿で手には大きな「ホイジョ/包丁」と青竹の「ボーキ/棒きれ」を持っており不気味な咆哮で「サガンデ/叫んで」民家に近づくと、家の外壁を棒で叩いて家の中にいる住民を威嚇し「ナグワラスハ、インネーガ/泣く子どもはいないか」「ノンベーオヤズハ、インネーガ/飲んべえ親父はいないか」と騒ぎながら土足のまま上がり込んでくる。家の人はその夜に「ナモミ」が来ることを知らされてはいるが、意表をついて現れる「ナモミ」に家の子どもたちは隠れたり両親にしがみついたりして「ナモミ」の脅かしに耐える。家の中で暴れ回る「ナモミ」に対して家の年長者が「オラガエーサバ、ワリーワラスバ、インナゴゼンス、オミギデモ、オワゲンセ/当家には悪い子はおりません、どうぞ御神酒でもおあがりください」と諭すと「ナモミ」たちは出された「サゲコ」を飲み干して奇声ををあげながら夜の帳に消えてゆく。しかし、部落中の全世帯を回る頃はほとんどの「ナモミ」たちはしたたかに酔い吠えまくる犬に「ウルセー、コノクサレイヌ/騒がしいぞこの犬野郎」とか立小便をしている仲間に「コラー、ドゴダリ、ソンベンタレンナー/こらそこら辺に小便すんじゃない」などと意味不明な説教をしては「クラスマ/暗がり」で「プテコロビ/転び」ながらいつの間にかいなくなる。「ナモミ」は秋田の「ナマハゲ/生皮を剥ぐ」と同等の風習で仕事をしない「セッコギモノ」の足の皮を剥ぐというものだ。これは大船渡の「スネカ/スネの皮を剥ぐ」や北陸地方の「アマメハギ/足マメ剥ぎ」九州地方の「アマハギ/あま皮剥ぎ」などと同じ発生体系をもつ。宮古地方では地区によって「ナゴミ」と呼ぶ場合もあるが、字面から想像される「和み」という意味ではなく「ナモミ」の「舞い込み」が短縮し転訛したものと思われる。戦前まではほとんどの地区で行われていた「ナモミ」だが現在はほとんど廃れ、近年行われるものは復刻したものが多い。

オースンナ

 人生は長い一本道なのだが、人は節目節目にリスタートの願いを込めて一年の初めにその年の吉兆を託してきた。そんな中に年の最初を目出度い知らせで飾り、その年を縁起のいい年にしようという行事があった。鍬ヶ崎あたりでは自然相手の先行投資で博打色が濃い建網経営などは特に縁起を担いだ。建網にイワシを「ボッタグッテ/追って」「スビ/クロマグロ」の大群でも入ったものなら笑いが止まらないわけで、そんな知らせにあやかろうと、ウソの大漁情報を告げて年の最初の縁起を担ぐわけだ。大漁情報を受けた魚家では知らせにきて「ヒタヅ/人たち」を家に招き入れ「オフルメー/ご馳走」するわけで、港町の子どもたちは知らせを告げる人にくっついて歩きあわよくば「オフルメー」にあやかろうとするのだった。行列となった知らせ人はたちは口々に「オースンナ、オースンナ」と奇声をあげて町中を回った。なお「オースンナ」という掛け声の意味は不明だ。ご飯のおかずを意味する「オスンナ/御品」なのか御神(おんしん)なのか、今となってはその風習を体験した人も少なくなっており解読はむずかしい。

ヤーラとヤッカガス

 十年以上も前になるが本誌で昔の正月を聞き取り取材するため某老人センターで「トソリ/お年寄り」の話を聞いた。その時津軽石出身だと言うある老人が「ヤーラ」と「ヤッカガス」の話を語った。それによるとまだ津軽石が村の頃、小正月の夜にオカラやそば殻などを混ぜて作ったものを神棚に供えたのち家の周りに撒くと言う。この時の掛け声が独特で「ヤーラクルクル、トビクルヨー、アキノカダガラ、ウマコモ、ゼニコモ、トーンデコー/やーれ来る来る飛んで来る、恵方(あきのかた・えほう)から馬コも銭コも飛んで来い」というものだ。この掛け声を繰り返しながら家の周りを三周し、終えたら松ヤニで黒く焦がした豆腐や昆布「トガラ/小魚」を竹串に刺した「ヤッカガッス/焼き案山子」を家の四方に刺すというものだ。老人の話によると当時津軽石川に橋を架けるため他所からきて飯場暮らしをしていた人たちが津軽石住民の「ヤーラ」を見てびっくりしたと同時に、この変わった風習が老人が子供だった頃もの凄く「ショースガッタ/恥ずかしかった」という。

 これは中国の風習が根底にあり奈良時代あたりに節分行事と正月行事が日本で混同したものだ。関西でイワシを焼いて柊に刺して魔除けとしたり、恵方に向かって太巻きを食べる習わしと同等であろう。「ヤーラ」の風習は現在津軽石でもほとんど廃れたが、どうして津軽石にだけこの習わしがあったのかは宮古民俗学七不思議である。

懐かしい宮古風俗辞典

だんだによぐなるほっけのてーご

叩いているうちに鳴りがしっかりしてくるという法華経のお題目や念仏で使われる一枚皮の和太鼓。転じて次第に「良く」「なる」というい例え。

南無妙法蓮華経と独特な書体で書かれた一枚皮の和太鼓を、ごれまた独特な一本調子のリズムで叩きながら祈祷する法華行者は曹洞宗の寺が多い宮古ではあまり見かけない。行者や信者たちが鳴らすこの太鼓は正式にはウチワ太鼓と呼ばれ、仏教法具のひとつで法華経の他日蓮宗でも使われる。南・無・妙・法・蓮・華・経のお題目に合わせて一文字に太鼓を一打するわけで、この祈祷が長く連なった列からランダムに聞こえ互いを認識する集団の合図にもなっている。  宮古弁ではこの法華経の太鼓が遠くから近づきながら次第に音が大きくなって聞こえる様を例えにして、「ダンダニ/だんだん、しだいに」「ヨグナル/よくなる(改善される)」「ホッケノテーゴ/法華経の太鼓」としている。もちろん「良く鳴る」を「良くなる」にしゃれた語呂合わせであり、不調、不具合で困っている人に「使っていれば次第に良くなるんじゃない?」という無責任な慰めとして使う。

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