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2010/01 不動に奉る、ノウマク サマンダ バザラダン カン

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 密教の最高神は大日如来であり生命・宇宙のすべてを司るという。そして大日如来の化身であるとされるのが不動明王だ。不動明王は仏教に敵対するすべてを焼き尽くす紅蓮の炎を背にした漆黒の憤怒尊で、悪しき教えを断ち切る剣と外道へと流れ出る者をつなぎ止める索で人々を救済するとされる。密教をベースとして各種信仰が混同してる修験道でも不動明王への信仰は絶大で修験者を守る仏であり、邪や禍を断つ主尊として真言や呪いで勧請される。

 宮古において不動を本尊としているのは長根の玉王山・長根寺だ。この寺は真言宗智山派で大聖不動明王が本尊だ。またこの寺は岩手県三十六不動尊の二十番札所で御朱印を求めて巡礼する信者も多い。神社で不動明王を祀るのは日ノ出町の不動神社(通称・おふとう様)、山田町の関口不動尊などがある。そんなわけで今月は市内にある不動明王関係の石碑などを巡ってみた。

 最初に紹介する石碑は近内川源流部である岩船の沢をさらに上流部へ登った深山の滝にある。場所的には庵屋(408m)の北側、花原市の真裏付近で、昔は蟇目二又地区を経て源兵衛平につながる道として牛飼たちが歩いた旧街道だ。石碑は中心に岩舟山龍王不動明王、右に瑠璃光薬師如来、左に帝国萬歳、当村牛馬安全とある。石碑は3メートルほどの滝の脇にあり周辺には小祠、鳥居、不動を模したコンクリートのモニュメント、祭や縁日などに関係者が入るモルタルの近代的な長床がある。石碑には瑠璃光薬師如来の文字もあることから、この付近の湧き水に薬効があるという逸話があったのであろう。滝までの往路は道幅が狭いうえ林道で車両の切り返し場所も少なく四駆とは言え大型車両は難儀する。

 次の石碑は深山ではなく漁港を見下ろす岩山の上に祀られている石碑だ。石碑があるのは田老小堀内のニドイ浜で、漁港に降りる道なりの岩山の上に小祠がありその脇に建立されている。碑は5センチほどの薄い石盤状で中央に不動明王、左に嘉永壬子年(1852)五月廿八日、右下に施主源右ェ門とある。石碑のある岩山は漁港整備の工事で切り通しとなり、斜面にはコンクリートが吹き付けられているが、往時は浜へ流れ込む沢がぶつかる岩塊であり、この上部の岩塊が信仰媒体であったと思われる。滝に関係する不動明王は同時に龍神信仰とも融合しておりこのように海岸で信仰される場合もある。

 次の石碑は前段でも触れた日ノ出町地区の鎮守である不動明王神社の参道入口にある石碑だ。この石碑は近年文字が刻まれたと思われるものだが、中央に不動明、左に不動明王を象徴する剣が彫り込まれている。この神社は鍬ヶ崎の民家の氏神として祀られたものだが、国道45号線開削、宮古二中建設、日ノ出町、佐原団地開発などで周辺環境が変わってしまい現在に至る。神社参道脇からはかなりの水量の沢が流れており、かつて清水であったこの水に由来するのが日影町の銭湯・不動園だ。大正期、鍬ヶ崎の文学青年伊東祐治が小説のモデルにした湯治場は不動園とその脇を流れるこの沢だった。現在鍬ヶ崎清水橋を経て宮古湾へ至るこの沢は住宅の生活雑排水が入り当時の面影はない。

 最後は石碑ではなく不動明王に関係する脇侍としての童子だ。不動明王の童子は矜迦羅童子と制叱迦童子の二大童子か、あるいはそれらを含めた八童子やより多くの加護を表す三十六童子の場合もある。童子は仏法を守護するために使役される鬼神で常に童形をしており不動明王とともに仏教に敵対する思想と闘うというものだ。長根の真言の寺である長根の長根寺は三陸三十六不動の二十番札所なので20番目の童子である因陀羅童子のモニュメントがある。

 写真は北川目の布引観音白糸滝入口の石碑群にあるものだ。石にレリーフで彫り込まれた多面六臂の仏は上部に月と太陽らしき彫り込みがあることから庚申信仰の青面金剛と思われるが脇侍の童子が不動明王の童子である矜迦羅童子と制叱迦童子にも見える。 青面金剛にも童子が描かれることもあるが本尊がレリーフで脇侍が彫刻風というのも納得できない。三体とも年代不明だが観音を祀る滝ではあるが滝に関係した不動明王が祀られても不思議ではないし、年代により不動明王が青面金剛に置き換えられた可能性もあるだろう。

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