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2009/09 よされとは単なるお人好しではない

提供:ミヤペディア
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 これといった学歴や肩書きがあるわけでもないが毎月30年近くも宮古弁のことばかり書いているから、さぞ宮古弁のエキスパートと思われがちだがまだまだ知らない宮古弁があってそんな言葉に遭遇すると今でも方言の奥深さに脱帽してしまうわけだが、そんなレアでマニアックな宮古弁よりごくありふれた宮古弁の語源がわからない方が僕にとっては悩みの種だ。今月はそんな僕を悩ます宮古弁の中から「ヨサレ」を紹介しよう。

 「ヨサレ」は若い人たちには聞き慣れない宮古弁だと思うが、年配の宮古人ならほとんどが理解できる結構メジャーな宮古弁であり難易度的にもレベルは低い。「ヨサレ」は「ヒトコガイイ/人がいい」というおおざっぱな意味と、他人の頼み事を断れず人の分までお金を払ったりする浪費家であり、かと言って冷徹に請求も出来ず、飲み会では割りカン要員としていいように使われいつも貧乏くじを引く人…という意味で使われる。最もありそうな宮古弁での使用例は「ナーニ、アレハ、ヨサレダーモノ/仕方ないよあいつは人はよすぎるんだ」などが妥当か。では、「ヨサレ」の大まかな意味が判ったところで「ヨサレ」の語源について見てゆこう。

 では第一の疑問であるそもそも「ヨサレ」とはどこから来たか?という疑問から見てゆこう。「ヨサレ」が宮古弁はもとより岩手全域で第三者をこちらに呼び込む時に使う「ヨサレ/寄され」であるなら、「サムガベー、コッツァ、ヨサレ/寒かろうこっちへ寄りなさい」などで使われる意味と同等の意味を含むことになり、宮古弁の「ヨサレ」が持つ本筋の意味である「お人好しの浪費家」のイメージはまったく伝わらない。では雫石あたりで盛んに歌われる民謡「南部よしゃれ」、青森県黒石市あたりで歌われる民謡「黒石よされ」などの民謡に「ヨサレ」のヒントがあるのだろうか?  そもそも「よしゃれ節」なるフレーズがいつの時代に発生したのかは不明だが、一説によると江戸の頃、越前あたりから遊郭のお座敷唄として「よしゃれ節」が南部や津軽に流れ後に民謡として定着したという。また、越前あたりでは芸者や遊女のことを「しゃら(洒落)」と呼んだとの記録もあり、宮古でも鍬ヶ崎の芸者や遊女を「オシャラグ」と呼んだ経緯もあるから、江戸初期から中期あたりは日本海経由の北前船が上方文化を東北へ運んでいたのであろう。その後江戸末期には太平洋廻りの航路が拓け文化は江戸・上方から直接もたらされたため日本海経由の以前のルートが廃れ、忘れ去られたのであろうか。

 岩手を代表する民謡でもある「南部よしゃれ」に関する伝承を見ると、南部信直が秀吉の御朱印をもらい南部領の諸城や柵を破却した天正年間(1573~92)雫石城を攻めるため城の飲料水を絶つ作戦を考案。信直の手先が山伏に化けて雫石の一軒の茶屋を訪ねた際、茶屋の美人おかみに惚れ込んだとみせかけ湧き水の場所を聞き出そうとしたという説がある。これが歌詞の「茶屋の女将の花染めのたすきが今日は肩にかかっていないので気にかかる」であり、この解答に「よしゃれ(よしなさい)おかしゃれ(手にかくしたものを置きなさい)その手は食わないよ。その手を食うような野暮じゃない」と山伏に肘鉄砲をくわせたとあり、雫石女の貞節と心意気を唄っているとしている。(おかしゃれに関しては諸説あり)

 この説では「南部よしゃれ」の「よしゃれ」は「よしなさい」が本流の意味だとしており、関西系の「よしなはれ」などの言葉が変化したものだということになる。一方、「黒石よされ」の伝承を見ると「よされ」とは「世去れ節」で貧困や凶作の世は去れという願いだったとしている。処変われば説変わるで、米処だった雫石と冷害常習地だった黒石とでは「よしゃれ」「よされ」の意味も伝承も別物になっているようだ。  また違う方向から「ヨサレ」を検証してみると「ヨサレ」が仮に「余洒落」「装洒落」あるいは「寄洒落」という漢字表記から変化した言葉ではないか?と仮定してみる。すると「余りお洒落(遊女)」「装いお洒落(遊女)」「寄りお洒落(遊女)」などが考えられる。しかしながらこれらの中に遊郭での「浪費家」のイメージはあっても「ヨサレ」の本筋の意味である「お人好し」のイメージはないように思える。  話は前後するが遊女を指す言葉でもある「お洒落(オシャラグ)」の「洒落」とは本来「しゃら」と読む古語で、キザで出過ぎたことや、生意気を意味すると同時に、あれこれ物事にこだわらないでさっぱりしているという意味もある。前者は身分相応でないような非日常なことをするような意味で使われ、例えば「明日は結婚記念日だから特別に昼からフランス料理と洒落込もうぜ」という風に使われる。後者の物事にこだわらないは宮古弁の「ヨサレ」を「余洒落」と見れば「余り細かい事にはこだわらない」というような意味になりそうだ。

 江戸時代、身分不相応なおしゃれをすることを「しゃらくさい」と言った。「しゃらくさい」の「しゃら」はお洒落の意味であり「くさい」はニオイではなく「~めいている」という意味だ。きっと素人女が遊女のようにめかしこむことを「しゃらくさい」と言ったのかも知れない。おおまかな意味は形や容姿だけ真似た成り金はどこか俗っぽいという意味であろう。

 と、まあ、ここまで書いてきましたが宮古弁の「ヨサレ」を説明するすっきりした解説には未だたどり着いてはいません。たかが「ヨサレ」されど「ヨサレ」こればかりは気まぐれな宮古弁の神様がヒントをくださるまで当分未解決のままになりそうです。


付録・懐かしい宮古風俗辞典

【そぴたれる】

見た目みすぼらしくどことなく薄汚れている様。しょぴたるとも言う。主に身なりをさして言うがまれに景色や食事に対して使うこともある。

 見た目が薄汚れていてだらしない格好や、身なりに気を使わず無精にしているような姿形や状態などを総称して「ソピタレル」という。また見た目だけでなく、その人が落ちぶれたり零落して以前の輝きを失っている場合も「ソピタレル」と言うし、希ではあるが貧相な食事などに対しても「ソピタレダーオマンマ」と言ったりする。  「ソピタレ」の語源は不明だが古語で汚水が溜まって乾いた表面が鉄さびで光るような田んぼの土を「そぶ土」と言うことから、人の身体に垢などの汚れが浮き上がった状態を言うのかも知れない。ちなみに「そぶ」の漢字は「くろつち」とも読むが第三水準であり一般の常用漢字にはない。「ソピタレル」は稲作に関係した古い言葉なのかも知れない。  中世の時代、宮古は渋田の庄と呼ばれた赤土の湿地帯だったという。田んぼを切り拓いてもさぞ「そぶ土」だったことだろう。

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