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2009/08 宮古のお盆は花火のお盆

提供:ミヤペディア
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 8月は盆月だ。8月1日の「ムゲービ/迎え火」にはじまり家の庭先で、墓で「マヅアガス/松明かし」をやってその後も二十日盆、月末の「オグリビ/送り火」があり、昔は子供にとって花火で遊べる夢のような月だった。しかも夏休みだから昼は朝から海パン一丁に「ミズメガネ/水中メガネ」を頭に載せてバスタオルをはおって家を出て一日中泳いでは遊び呆けていた。今月はそんなあの頃のお盆の花火を振り返ってみよう。

 まず花火の話をする前に宮古の花火のルールについて話さねばなるまい。花火は火薬を使った子供用玩具なのだが、宮古では「ハナビーヤルヒ/花火で遊ぶ日」が明確に設定されているということを忘れてはいけない。従って夕涼みに公園などにバケツを持参し花火に興じるという遊び方は伝統的にない(断言)。これは昔、庶民にとって各地区の「ミセヤ/雑貨屋」が買い物のメインだった頃、現在のような夏前から売られる袋入り花火セットのようなものがなく、花火は「マヅアガス」の日に「ミセヤ」のおばちゃんが「トイダ/戸板」で作った特設売り場でバラ売りするのが普通だったからだ。だから、花火は「マヅアガス」当日のその日に「ハナビセン/花火銭・おこづかい」をもらって好きな花火を買ってその日に遊んでしまうのが当たり前だった。

 当時の男の子御用達の定番花火と言えば何と言っても「2B弾」と呼ばれるスティック状の爆発花火だ。これは先端部に「マッツ/マッチ」の発火剤のように硫黄が盛り上げられておりこれを擦ると着火できた。このシステムは花火特有の種火が要らないから画期的だった。「2B弾」は着火のあと黄色の煙りが出て10秒後ぐらいにメインの火薬に火がついて「バーン」と爆発した。その後「2B弾」は安全面から破壊力の小さい「クラッカー」というタイプになったが人気は出ずじきに消滅した。また「2B弾」に似たタイプの花火で着火後水のある「セギ/堰」などに入れても爆発する「水爆」というのもあった。

 僕は太平洋戦争などまったく知らない世代なのだが、あの当時戦争のイメージが残っていたようで、プラモデルもやたら戦争物が流行ったし、花火は「2B弾」や「水爆」をはじめ筒状の打ち上げタイプの花火「落下傘」などもあった。ちなみに落下傘は小さく折りたたんだ紙製(後期はビニール)の落下傘(パラシュート)が火薬の爆発で打ち上げられ空中で開いた落下傘がふわふわと落ちてくるというあまり面白くもない花火なのだが、なぜか二連発などもあり少年たちは夜空を漂う落下傘を追って「ハセマワル/走り回る」のであった。今思うと爆弾だ落下傘だとはしゃぎ回る「ガギワラス/子供ら」を見て戦争経験者だった「トソリガドー/老人たち」はどう思っていたのだろう?と考えてしまう。

 通常花火と言えば派手な「ドンドロ/鳴り物」だのきれいな色の火花や豪華な火柱などの花火が主流なのだが中にはマニアックなものもあった。前出の「落下傘」もかなり変な花火なのだがもっとおかしなものが「エンマグ/煙幕」と「ヘビ/へびはなび」だ。「エンマグ」は直径3センチほどの土団子から導火線が出ており着火すると単にモクモクと「ケム/煙」がでるだけの花火なのだが、男の子にとってこの「ケム」が昼間にいつもやっている忍者ごっこのようで楽しいのである。「ヘビ」は直径・高さ1センチほどの黒い円筒のタブレットで着火すると煙を出しながらムクムクと煤のようなものが成長する気色悪い花火だ。この花火は5~6粒がビニールの小袋に入って売られており、地面に置いて一気に着火して煤の成長を黒ヘビに見立てて遊ぶものだ。しかしこの花火の煙はなんとも言えない臭さがあるし成長した煤は翌朝の掃除の際に迷惑するので買ってくると嫌われた。

 花火イベントのきっかけでもある「マヅアガス」は仏様のある家だけがするのだが、その火には近所の子供たちも集まってくるから、松程度では火がもたないため途中から薪を「クペ/くべ」たりして宮古の花火の夜は延々と続く。開けっ放しの部屋の奥にはロウソクの熱で図柄が回るぼんぼりが揺れ、大人たちはプロ野球を観ながらビールを飲んでいた。都会の言葉と宮古弁が混ざった変な話し方をする東京帰りの「オンツァン/叔父さん」はほろ酔い気分で「コヅゲーセン/お小遣い」をくれる、少年は喜んでまた花火買いに「ミセヤ」へ走るのであった。  翌朝は「オハガメーリ/墓参り」だ。花、線香、ろうそく、洗った米や野菜、お菓子など、そして大事な花火を持って眠い目をこすって坂を登る。公営墓地の中腹あたりまで来ると花火の音に混じって火薬のにおいもしてくる。お墓についたら「キササギ/植物名」の葉っぱをお膳に見立ててきぱきと供え物をする。あとは小さく割った松で朝から「マヅアガス」。「ドラゴン花火」を二本立てて花火と一緒に何故か記念撮影をやったりもする。あちこちで花火の爆音がするなか「コラ、オメーガドーモ、マゲンナ/こらおまえたちも負けずに景気よく鳴らせ」と「オンツァン」に言われ誰かがてんこ盛りにした爆竹に火をつける。お墓のブロックの穴からはロケット花火の乱れ打ちなのであった。

 聞くところによるとお墓で花火をするのは宮古・下閉伊地区だけだという。この風習は宗教的なものではなく、お墓参りをすれば花火で遊べるという子供たちを墓参りに誘う口実だったのかも知れない。しかしながら近年の少子化でお盆の墓参りにくる子供も少なくなった。パーン、パーンという音に、おお、誰か景気よく鳴らしてるなぁ…と眺めてみると、なんといいオヤジが花火をやっていたりする。皆さん、宮古人ならお盆はもっと花火しようじゃありませんか。


付録・懐かしい宮古風俗辞典

【でどご】

出所、出処。出現場所。宮古弁では頻繁に出る、出現するということで天才、秀才、あるいはまったくその逆も出現しやすいという血統が強いという意味で使われる。

 民謡の宝庫岩手の中でも名調子の名曲『沢内甚句』で歌われる、年貢の不足分を理由に召し上げられる悲劇の女性「およね」の出身地が沢内村だ。この民謡の背景は盆地だらけで雪深く春が遅い沢内は三千石の出来高を仰せ付けられたが、ちょっとした天候悪化で収穫量が落ちその不足分として庄屋様の娘「およね」が差し出されたという悲しい歌詞で「♪沢内ぃ~三千石ぅ~およねぇ~のでぇどこぉ~」と歌われる。宮古弁での「デドゴ」は沢内甚句ようのおよねの出身地とはちょっと違っており、良きも悪きも奇天烈で破天荒な人物が頻繁に現れる土地、あるいは町名や家を指していう。それは学者や芸術家であったり経済人や犯罪者だったりするわけだが、特定の地名や家(屋号など)を指して「アソゴハ、デドゴダーモンナ/あの町内(家)は有名人が多い」という風に使う。  宮古の「デドゴ」ナンバーワンは鍬ヶ崎で文学青年、女流画家、経済人、政治家など多数輩出しているが、これは明治初期から戦前までの特定の時代で区切った結果であり宮古の有名人が鍬ヶ崎ばかりに集中しているわけではない。

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