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2009/05 宮古のジャンケンとジャンケンの歴史的考察

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 最近は少子化だし、安全な広場や空き地もなく「ワラスガドー/子供たち」が戸外で「タスケ」だ「カンケリ」だと地域限定のルールで遊ぶ風景を見ることもぐっと減った。なにせ「カンケリ」などは一人二人ではまったく「オモッツォグネー/面白くない」わけで、ある程度の人数がいないと白熱しないのである。その点、僕が「ガギワラス/子供」で町内の「アウェーコ/路地」を「ハッサリッテ/走り回って」いた昭和40~50年代は、どこの町内に行っても子供が多く何をするにも大人数だから遊ぶ前に「オニコ/鬼」を決めるのも一苦労だったものだ。

 さて、ゲームを開始する上で西軍・東軍のように人数を二分したり、公平に誰かを「オニコ」に決定するためジャンケンをした。宮古のジャンケンはグーチョキパーの三すくみルールは同じだが、地区や、時代によってジャンケンの掛け声が違った。僕は少年時代に市内各所を渡り歩いたので各地区のジャンケンの掛け声の違いによるタイミングには泣かされた。早だし後だしは「ズリーズリー/ずるいずるい」と「ザッッキン/反則」にされるし、下手をすると反則行為で即・「オニコ」にされることもあった。掛け声とそれに合わせて振る拳(けん)はその地域で育った人にとってごく普通のリズムだが、他地区から転入するとタイミングが読めないから合わせづらいのだ。鍬ヶ崎、愛宕、藤原、小山田、千徳と渡り歩いた僕がもっとも苦労したのは小学校5年で転入した千徳地方の「イツケットー、ノー、トッ」だ。この呪いじみた掛け声はおそらく「石蹴った」が転訛したものだろが、なぜに千徳がこの掛け声なのかはまったく不明だ。しかしあの当時の千徳の少年たちは「ソンダラバ、イツケデ、キメッペッサ/ならばじゃんけんで決めようぜ」と何かにつけて言うのだった。野球の先行後攻を決めるにも、休んだ人の給食の余りを貰う時もすべて「イツケ」なのだ。千徳に越す前は小山田だったのでジャンケンの掛け声は「ジャン、ケン、ポイ」だった。それ以前は愛宕だったので「キャー、アン、デッ」だった。この他にも色々な掛け声があったが僕の時代、宮古でのジャンケンは「キャーアン」か「イツケ」または標準的な「ジャン、ケン、ポイ」の三種類だったと思う。

 さて、そんな懐かしいジャンケンだが、その由来や発生を探ると奥が深い。ジャンケンのケンは文字通り「拳」であり拳を意味する。従ってジャンケンとは拳と指を使ったサインゲームであり、「ジャン」はチョキの二本指を意味する「リャン(中国の2の数字読み)」でありこれがジャンに変化したとする説もある。もしこの説が正しければ、チョキが2を、パーが5を、グーが0を意味することになり、チョキの由来でもある鋏、パーの紙、グーの石も役として後付けしたことになる。もっとも、ジャンケンは人類の創生期に近い時代からサインとしてあった可能性もあり、鉄文化の発明品である鋏や紙の出現の歴史などをモノサシにしてジャンケンの歴史は推測できないだろう。  ジャンケンの役でもある三すくみの勝敗配分は絶妙で、石↓紙↓挟↓石…と順繰りに回転する強弱の設定は、「ダナサマ/旦那様」がきれいどころを集めて庄屋・狐・鉄砲の三すくみゲームで芸者と遊ぶお座敷遊びの庄屋拳にも通じる。このように指や手で簡単に表現できて、目視的にも確実な差別化ができる三種類のパターンを作り各形に強さと弱さを均等に与えたのがジャンケンの基本だ。重要なのはパターンが3つであり人間の反射神経で表示でき、即、目視しで勝敗を決定できることにある。だから、指を全部開くパー、閉じるグー、特定の指を開くチョキが三役なわけで、はるか昔はその他にも特定の型があったかも知れないが、紛らわしい指形は表現や目視の間違いを生み次第に淘汰されたのではないだろうか。

 近年のジャンケンはテレビの影響から「最初はグー…」が全国共通の掛け声となった。イベントなどで来場者プレゼントをしたり、ビンゴ大会での同点決勝もやはり「最初はグー」だ。みんなが共通なリズムでジャンケンできるのは公平でいいことだが、全国各地の古いジャンケンの掛け声が忘れ去られるのはなんだか悲しい。  3つのパターンの強弱で公平に勝者を決めるジャンケンだが、僕らの少年時代はもっと別の方法があった。先頭でも述べた通り当時は子供の数が多かったから、全員が一度にジャンケンをしてもあいこが続いていつまで経っても勝敗が決まらなかったのだ。そんな時にある特定のパターンだけを指定して差別化するジャンケンがあった。例えば8人から「オニコ」を一人決める場合、ゲームのリーダーが「ミッツアッテ、カツヨー、ハイハイハイ(キャーアンデ、ジャンケンポイでも可)/三つ合って勝ちよ、はいはいはい」と掛け声を掛け、グー、チョキ、パーのうち3つ揃ったらパターンの強弱とは関係なしに勝ちとなる。例えばグーが3人、チョキが3人、パーが2人なら、グーとチョキは勝ち。残ったパーの2人が正式なジャンケンをして「オニコ」を決める。掛け声の「ミッツアッテ」は時と場合により「ヨッツアッテ」と変化するがそれはガキ大将であるリーダーの采配だった。この他に「グーネーコ、ジャンケン、ポイ/グーはなしよじゃんけんぽん」もあり、こちらはグーを出すと「ザッキン」となり、パーとチョキしか出せないから必然的にチョキが勝つ。これもガキ大将の采配で、ジャンケンをする寸前に早口で宣言した。

 チョキの出し方で時代が判るとも言う。現在はvサインのようなチョキが主流だが、おそらくそれは鋏(洋バサミ)を意識した型でありそれ以前に鉄文化発生以後の型なのである。ジャンケンが二本指を意味する「りゃんけん」だった時代は1指と2指、すなわち親指と人差し指がチョキとして使われいたと考えられる。指によるサインは仏教や修験道では仏を意味する印形(いんぎょう)として使われ、部外者が意味を探れない隠語を使う魚の競りでも使われる。また外国でもブーイングをはじめ色々な国でサインとして使われている。ジャンケンはその中でも最も進化した指のサインなのかも知れない。


付録・懐かしい宮古風俗辞典

【だとい・もとい】

絶対間違いないな、もう、意見は変えないな、嘘じゃないだろうな。という断定を相手に押しつける宣言が「ダトイ」。これに対して意見を変更、訂正する宣言が「モトイ」。

 「ダトイ」は相手が語る情報や意見に対して「絶対だな、嘘じゃないな!」と断定し、もし情報や意見が嘘だったり、訂正されたりしたら、それ相当の責任を取ってもらうからな!という姿勢を相手に約束させる決め文句だ。これに対して、情報の信憑性が薄かったり、最初に述べた意見の変更などをするとき宣言する決まり文句が「モトイ」だ。「ダトイ」の語源はトランプ遊びの「ダウト」からきたのでは?という説もあるが基本的に不明だ。昭和40~45年代頃に頻繁に流行った言葉なので、当時のテレビ番組が発端だったかも知れないが、そうなれば逆に方言ではなく流行語ということになる。しかし「ダトイ」はこの地方の昭和40年代に少年・少女だった人たちにしか通用しないことから、一時的に流行った特殊な方言なのかも知れない。訂正で使う「モトイ」は共通語でも同じ意味で使われるが、対局の言葉としての「ダトイ」は存在しない。当時、嘘臭いがせネタや、都合の悪い約束を破棄するため「ダトイ」をかけたとか、「モトイ」を言ったとかでケンカになることもあった。少年たちは自分の発した言葉や情報にそれなりの責任と覚悟を感じていたのである。

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