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2009/01 七つ入りと八つ入り

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 昔は「ソーガヅ/お正月」がきて「ヒトッツ/ひとつ」歳をとる「カゾエ/数え歳」というちょっと変わった年齢表記方法をとっていた。従って、生まれた時点ですでに1歳であり、次の年の正月で2歳になる。だから12月31日の大晦日はクリスマスならイブであり、翌日の元旦は「トストリ/年取り」ですべての日本人の誕生日ということになるわけで、お正月の歌も「♪年の初めの試しとて~」と何かと盛大になるわけだ。さて、そんな風習と歳時記で長らく日本の伝統文化が保たれてきたのだが、江戸幕府が倒れ明治の世になると新たに太陽暦が導入された。これによって今まで「イヅデモヨガベーガ/いつでもいいだろう」と親の都合で適当に申告されていた子供の出生届をはじめ、戸籍なども西洋と同じのグレゴリオ暦表記(西暦)になり個人個人に個別な誕生日という概念が生まれ出産後最初の誕生日で1歳とする感覚が定着した。同時のこの正確な誕生日管理は後の学校制度導入の基礎ともなった。

 明治政府の学校制度導入は日本人の教育面での大改革であり、明治5年(1872)8月3日、文部省(現文部科学省)が学校制を公布、寺子屋や私塾が廃止され各地に学校が乱立する。宮古村では明治6年(1873)宮古小学校の全身である宮古村第二番小学校が創立、翌年には鍬ヶ崎の鍬ヶ崎第三小学校、千徳の千徳私立小学校をはじめ、この数年で崎山、金浜、赤前、老木…などなど雨後の竹の子状態で小学校が乱立する。

 さて、そんな背景のなか、昔から言われる諺に「六つ余され七つ馬鹿」というものがある。これの意味はというと、小学校に入学する歳が早生まれと遅生まれで成長面において若干の違いがあるというもので、前述の数え歳流に言うと「ヤッツヘーリ/数え8歳入り」と「ナナヅヘーリ/数え7歳入り」となる。「六つ余され」と言うのは1月から3月末日までに生まれた場合、前年の1月から12月末日に生まれた子供らと同じ学年として括られるため、入学当初体力的、精神的にも劣り「アマサレモンコ/余され者」にされ、逆に「七つ馬鹿」は「ヤキカナクテ/言うことをきかず」家でも手に負えないから、早々に学校に上がってもらいたいもんだ。というような意味になる。しかしながら、小学校に入学するとこれらの歳の差はすぐに埋まってしまい「六つ余され」の方がどんどん勉強ができる子になり、体力的、精神的にも優位と思われた「七つ馬鹿」の方が本当に「デギナスポー/不出来坊主・ポーは「坊」の変化」だったりする。

 そもそも、子供たちの精神は生まれた年などより、家庭における兄弟の有無とその構成、性別などが大きく影響する。昔から「ハヅマゴ/初孫」として家はもとより従兄弟親戚に「メンコガラレル/可愛がられる」長男・長女は大切に「オガサレル/育てられる」利点はあるが、自分を主張し争って生きてゆくハングリー精神に欠け、どことなく「ノホホーン/ぼやーっ」とし競争力が劣る。その点、自分の存在を主張することに全精神を集中して兄弟らと同等の待遇、あわよくばそれ以上の利を得ようとする次三男、次女三女たちは、何事に対しても「スパヤグ/素早く即対応し」て抜け目がない。しかも先陣である長男、長女をはじめとする上の兄弟たちが親に怒られている様、逆に褒められている状況を見てそれらを学習してしまう。勉強においても兄や姉たちの勉強に「カダリ/加わり」意味も解らないまま暗号や呪文のように九九の段を覚えてしまうからまさに「門前の小僧、経を読む」状態だ。

 しかし、人生、生まれながらにして立ち回りという工夫を身につけている次三男だが、やはり長男の待遇には追従できない。長男には新しい服、おもちゃ「ガバン/鞄」が与えられるが次三男は長男のお古や使い古しが回ってくる。「ソウリョーノズンログ/総領の順禄(先月号参照)」と周りから指さされても最終的には長男が家を継いでしまうから、次三男は「カマド/分家」としてその家を出なければならないのだ。そして、長男、次三男の待遇向上バトルに最も遅く参加し、あっさり親の寵愛を手に入れるのが「バッツ/末っ子」だ。「バッツ」は「末子」を「マツコ」と読み音韻の変化で「マツ」が「バツ」に変化し、「バツシ」「バツコ」となり宮古流の短縮と転化で「バッツ」と変化した言葉だ。ちなみに離婚歴を言う「バツイチ」「バツニ」とは無関係だ。宮古では末っ子を「バッツ」と呼ぶが、最低でも三兄弟、三姉妹以上の兄弟構成がある場合に「バッツ」と表現されることが多い。しかも長兄との歳の差が大きければ大きいほど「バッツ」のイメージが強い。

 最後に「バッツ」の特徴を。生まれながらにして大きな歳の差を理由にすべてが許される「バッツ」は、長男以上に競争力に欠け、事あるごとに上の兄弟を頼る傾向がある。遊びや勉強でも兄や姉の邪魔になるのを知りながら「ナギベッツォカギカギ/泣きながら」ついてまわる。年上の中に入り「ミソッコ/特別扱い」とされながら、次三男以上の世渡りを身につけるのであった。


付録・懐かしい宮古風俗辞典

【やんまのかみ】

山の神。「ヤマノガミ」とも言う。隠語で妻君のことを言う場合もある。黒森神楽の山の神は出産の苦痛に顔を歪める女神の面だとも言われる。

 山の神は稲作中心の定住農耕民族と焼き畑農業と狩猟を生業とする山の民を結ぶ民俗学上特異な存在だ。稲作中心の社会においては水を育む山を祖霊の住処とし、そこにいる山の神は田に水を入れる春に山から降りて豊穣の田の神となり、冬には山へ戻る豊穣神と捉える。狩猟の民の末裔であるマタギたちにとってはその昔猟師がお産に難儀する山の神を助けたので、以来猟を許されたとか、醜女の山の神を安堵させるため醜い「オコゼ(魚)」の干し物を持参して山に入ると嫉妬深い山の神に惑わされないなどの迷信がある。山伏神楽である黒森神楽でも山の神が舞われ、太刀を振り回しての激しい舞だがその面は真っ赤に紅潮した女面であり山の神が女であることを示唆している。しかし宮古の年末の風物として知られる「オガザリ/お飾り」で表現される山の神は蓑を着た大山祇尊(おおやまずみのみこと)であり男神として表現される。このように山の神は稲作の豊穣神、子孫繁栄の生殖神、狩猟神、船の材料としての木を供給する大漁神であり広い御利益の幅をもつ最も身近な信仰媒体なのである。 

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