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2008/12 宮古弁語呂合わせで会話の弾みをつけよう

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 宮古人たちは、宮古管内で宮古の空気を吸いながらであれば華麗かつアクロバティックな舌裁きで堂々と宮古弁で自己主張する。しかも声がでかい。これらの人たちのことを方言研究者たちはnative-speaker(ネイティブ・スピーカー・以下ネイティブと表記)と呼んで生きた音源として珍重する。しかし、自然の中で啼く小鳥がその場にいるから美しいように「オラードゴサイッテモ、ミヤゴベン/あたしゃ、何処へ行こうと宮古弁(宮古弁で会話する)」と胸を張っていても、都会の雑踏の中にポツネンと放置されたりすれば「ドゴサイッテモ/何処へ行っても」と豪語していたネイティブの音量も下がる。まして、取材などでカメラを向けられ銀色のマイクが目の前にきたもんなら、いつもの生息地・宮古であってもネイティブはトーンダウンする。リポーターの質問に対して「オラー、ワガンナゴゼンスー/私はわからないです」程度の返答すらできず、右手を小刻みに振りながら逃げ回るのが関の山だ。宮古弁ネイティブたちは同族の宮古弁ネイティブ同士なら「ソースーヨーモネー/恥ずかしいようでもない」し電話だって平気だ。携帯片手に「ホンダラ、アスッタ、オレガ、イゲンスッツケーニ/じゃぁ、明日、私が、行かせていただきます(…スッツケーニは敬語に近い?)」などと約束したりする。そんなネイティブVSネイティブの会話の中に妙な例え言葉や、諺(ことわざ)、語呂合わせが出てくる時がある。それらは会話をスムーズに運んだり、内容を強調して印象づけるために宮古弁の隠し味として使われる、宮古弁スパイスだ。今月はそんな例え話などを集めてみた。

話すは、でっかぐ、屁は臭ぐ…

 「ナーニ、アソゴノ、ヤスギウッターターテェ、2億ニモ、ナンネーベーゼー/なーにあそこの土地を売却しても2億にもなんないだろうよ」などという、いかにも普段から大きな額のお金を動かしているような調子で「オオブロスギ/大風呂敷」を広げるような人は結構いる。しかし、よくよく聞くと2億そこそこの価値がありそうという土地は、高速道路や高規格道路が開通してからの話で、現状を見れば「ズヤメーダ/湿った」使い物にならない「アガツヅ/赤土」の田んぼだったり、おまけに取付道路が狭く路肩ものり面も「ザクトレ/崩れて」でくるようなどうしようもない土地で2億どころか、×万円でも要らないような二束三文の土地だったりする。そんな利用価値のない土地を2億弱などと評価してどうすんだ?と真顔で質問すると「クヅデサベンノハ、ナンボーサベッテモ、タダナーノンサ/口で言う分には幾ら言ってもタダなのさ」といなされる。どうやら不動産系の商売というのは「話はでっかぐ屁は臭ぐ」は社交辞令らしい。

敵もさるもの、かっつぁぐもの…

 敵もさるもの…の、さるを動物の猿に掛けて、取引相手とか商談相手に対して「敵は猿かもしれない、引っ掻くなどして様々な抵抗をするようだ」とシャレたつもりの失礼な語呂合わせ。「さる」は猿、去る、の他に、勝る、優る、増さるなどもありこれらを使った熟語や諺は古今東西昔から「猿」に置き換えられ話の腰を折るボケとして使われてきた歴史がある。ネイティブが知ったかぶりして使う「テギモサルモノ、カッツァグモノ」も純粋に宮古で発生した語呂合わせではなくいつの時代かに入り込んだ言葉遊びが宮古訛りになって浸透したものだと思われる。

総領のずんろぐ(甚六)…

 跡取り息子である長男は「デーズソーズ/大変大切」に「オガサレッカラ/育てられるから」、我先にと争うようにして「オガル/成長する」次三男に比べ「ノホホーン/ぼやっと」しており本能的危機管理もしっかりしていないという。そんな訳で、総領・跡取り、長男は落語で言う「与太郎」が多いという偏見に満ちた例えだ。「総領のずんろぐ(甚六)」の「甚六」は一説によると長男は黙っていても先代が没すれば順に遺産を相続するため「順」「禄(家禄・財産の意)」の「じゅんろく」が「じんろく」に転訛し漢字が当てはめられたという説もある。ちなみにアニメ『サザエさん』の磯野家の隣に住む小説家・伊佐坂先生の長男息子の名が甚六で、浪人生の割にマイカーを持ちいつも洗車しているシーンが出てくる。やはり、長男は親から車を買ってもらうなどスネをかじる代表選手なのだろうか。

砂糖舟が沖を通ったよーたー…

 先日、某所のおばあさんが作ったという山栗の大福を戴いたのだが、これがまた、添加物ゼロの素材重視でおいしいのだが甘みがもの足りない。悲しい話だが流通氾濫する現代のお菓子に慣れてしっまた舌では山栗の素朴な甘さではイマイチなのだ。いや、砂糖が入っていたのかも知れないがその量が足りないのだ。今でこそ砂糖は価格も安定したどこの家にでもある調味料だが一昔前は貴重なものだった。お盆の「アゲモノ/供え物」に今でも砂糖が使われるのはそんな背景があるのだろう。砂糖を満載した千石舟が「お口」という港へ入るものと思っていたら、岬の突端で方向転換して沖の彼方へ消えてしまう…。「モウスコス、アメード、オモッテダッタノンニ/もう少し甘いと思っていたのに」という落胆が「サドウブネガ、オギートーッッターヨーター」という解釈ではないだろうか。

冷や酒と親父の説教は後から効く…

 では最後に名言をひとつ。「ナニィ、ムガスパナス、カダッテッケーナ/何昔の例えを引用してんだ」と時代遅れで閉鎖的な親父の説教に癖壁する気持ちはわかりますが、今は的を得てないような親父の説教でも、数年後にはじんわり効いてきます。「ああ、親父はこのことを言っていたのか…」と後悔する頃は親父もすでにあちらへ旅立った後。「ヒヤザゲド、オヤズノセッキョウハ、アドガラ、キイデクモンダガ」。親の小言にもたまには耳を傾けましょう。

懐かしい宮古風俗辞典

【はっかげもも】
枸橘(カラタチ)の実。晩秋に結実するからたちの実は種がびっしり詰まって乾燥すると大変固いのでかじると歯が欠けるというのでこの名がある。

 晩秋の頃、農家の生け垣にピンポン玉程度の黄色い柑橘系カラタチの実がなっているのを見かける。実は落葉したトゲトゲの枝に不規則についており、見た感じは黄色だがカボスやユズ、西洋のライムなどに似ている。カラタチは柑橘系だが実は食用にはならずほとんどのカラタチの実は収穫されないまま放置される。ではどうしてそのような食用にもならない木を生け垣として植えるのか?というと、カラタチの実ではなく「刺」に理由がある。早い話、この長く「ツットガッタ/尖った」刺が泥棒除けの天然の「バラセン/有刺鉄線」なのである。  昭和30年代に島倉千代子が独特の変拍子で歌ってヒットした「からたち日記」という名曲があり、この歌詞の解説に信州のとある貧農の家で「オガッタ/育った」娘が村を訪ねてきた都会の青年に恋をし後に別れ、カラタチの実がなる頃になっても「あなた」は戻らない…。というストーリーで歌われるが、もし娘の家の生け垣に泥棒除けとしてカラタチが植裁されていたなら、娘の家はある程度の財産家だったのではなかろうか…と重箱の隅を「ツッツギタグ/つつきたく」なる。ちなみにカラタチにはアゲハチョウが卵を産み付けることでも知られる。

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