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2008/10 宮古弁とエッチな春歌で盛り上がろう

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 いつの時代も語呂合わせの替え歌やエッチな歌、「アンマリゲー/あまりにも」モロ過ぎて宴会でしか歌えない春歌は存在するもので、それらは時代を反映した流行語や名詞を含んだものから、永遠のベストセラーとして記憶の「スマコ/片隅」に残るもの、そしてご当地でしか通用しないローカルなものまで様々なものがある。近年はカラオケも当たり前になり、まして携帯電話に音楽をダウンロードして個人的に楽しむ時代であり、携帯やmp3プレイヤーに乗り遅れた人たちはため息をつくばかりだ。

 さて、ハイカラで高価な最先端器機を手にネットだメールだとやっているオジサンたちも、一皮剥けば「ムガスビド/昔の人」だ。長いコードがついたマイク片手に歌詞カードを見ながらカラオケを歌い、宴会では独特な手揉みの手拍子で春歌を大声で歌った世代なのだ。そんな世代のオヤジたちが子供の頃、不思議なしりとり歌が全国的に流行った。なんとその歌は当時の歌謡界に燦然と輝く1967年の第9回レコード大賞を受賞した「ブルーシャトウ」だ。この歌は歌い出しの言葉から次の歌詞に入るまでの独特の「間」があって、そこが特徴であり曲の魅力なのだが、歌詞と歌詞の間に合いの手を入れたくなる構成だった。そこで誰がどこから流行らせたのか「♪森トンカツ、泉にんにく、かぁーコンニャク、まれてんぷら、静かニンジン、眠ルンペン、ブルーブルー、ブルーシャトウ」というしりとり替え歌が爆発的に流行った。この歌は言葉尻の語句に合わせて食べ物の名をはめているが「眠る」の「ルンペン」がおかしい。ルンペンとはボロを纏って徘徊する非労働者のことでなんと語源はドイツ語らしい。きっと替え歌の作者は「ルンペン」と「ハンペン」を掛けたのだろうが、あの頃宮古では「はんぺん」を売っている店はなかったので、当時の僕はもしかしたら「ルンペン」という食べ物が存在するのではないか?と思っていた。この替え歌は一説によると当時の花形子役・四方晴美(よもはるみ)がテレビで歌ったのがきかっけでブレイクしたという。ちなみに四方晴美は当時のTBS人気ドラマ「チャコちゃんハーイ」の主人公で、全国ロケで日本各地を回り、昭和40年、宮古にも訪れている。当時の宮古の少年の中にはチャコちゃん会いたさに、四方晴美が宿泊していた浄土ヶ浜観光旅館(現浄土ヶ浜パークホテル)へ電話して会おうとした強者もいる。

 小学校2年の頃「きらきら星」という曲をハーモニカで吹くのが音楽のテストだった。あまりにも「ムターカゲデ/無理して」練習したのでメロだけでなく「ドドソソララソ…」という楽譜情報まで今も記憶に残っている。その刷り込みにも似たメロに下品な歌詞を載せた替え歌があった。「♪ABCD海岸で、ガァニ(カニ)にきんたま挟まれた、いーでーいーでーはぁーなぁーせ(痛い痛い放せ)放すもんかソーセージ、赤チン塗っても治らない、黒チン塗ったら毛が生えた」というもので、若干の歌詞の違いはあるにせよこれも全国的に流布し歌われた。また、これと似たパターンで「森のクマさん」の替え歌もあって負けじと下品だ。「♪あるひんけつ、森のなかんちょう、クマさんに出会った、花咲く森のみちんぽこ、クマさんに出会ったまたま」子供の替え歌のパターンはチンチンに尽きるようで2曲とも永遠のベストセラーだ。しかし今の子供たちは赤チンという医薬品を知らないわけで「赤いチンチン」と勝手に想像していることだろう。

 僕らの少年時代は年中赤チンのオンパレードで、転んだりして擦り剥けば家でも学校でも赤チンだった。赤チンはマーキュローム水溶液のことでメーカーにより「ヨーチン」とも言ったが宮古では「マーキュロ」とハイカラに呼ぶ者はおらず「マーキロ」と呼んだ。「マーキロ」を傷口に塗ってふーふーと乾かすと赤地に金色と緑の混ざった独特の光沢がありかっこよかったが、これが水銀のイメージとつながり70年代の公害ブームとともに家庭用医薬品としての座を追われた。後に透明の「マキロン」という薬が発売され「マーキロ」は完全に姿を消した。

 チンチンに関係した歌と言えば愛宕地区に伝わる伝統の歌がある。歌詞は次の通りだ。「♪愛宕の山で昼寝して、ネズミにキンタマかずられだぁ(囓られた)ああいだがった(痛かった)、かりがった(痒かった)ねーご(猫)のおかげで助かった」この歌は太平洋戦争時に歌われた軍歌が元だとか、とある大学の応援歌のようなものが元だとか言われるが真意は不明だ。歌の情景はとある「エーナサン/青年」がなぜか「アダゴサン/愛宕神社」で昼寝をしていたら野ネズミに股間をパクリとやられた。痛いような痒いような微妙な感じだったが猫が通りかかったため助かったというものだ。彼が股間から逸物を出していたかしまっていたかはわからない。

 高校時代友人Sが生徒手帳にびっしりと春歌の歌詞を書いていてそれを後輩に歌わせていた。その中のひとつに次のような歌詞があった「♪荒神神社の鳥居の陰で、熱いキッスを交わしたけれど、キッスだけでは物足りなくて…」。残念ながらこれ以上先の歌詞は記憶していない。Sは屋上に1年生を数人引っぱってきて、オレの後について歌え。歌わなかったら「プタツケッツオ/殴るぞ」と脅かし「荒神神社の鳥居の陰で…」と歌うが1年生は口をもぐもぐするだけで歌わない。結局最後までSが大声で歌いそれを見て僕たちが笑うのだった。

 最近、宮古弁のイベントがあれば宮古弁の歌詞で作った歌や替え歌をギター弾き語りで演奏する。「愛宕の山」はビートルズのレット・イット・ビーに変換して歌う。ちなみに11/23日には二幹線のカントリーズ・カフェにてアコギ・ライブに出演。宮古弁の歌どーんと披露します。お誘い合わせのうえぜひどうぞ。

懐かしい宮古風俗辞典

【むごのこびり】
婿の小昼と書く。家族中に「とうさん、とうさん」と大事にされても何かと肩身が狭いのが婿の定。野良仕事の合間にフッと吹いてきた、かすかなそよ風にありがたみを感じる、これぞまさしく「ムゴノコビリ」なんだとか。

 野外で草取りや畑仕事をしている時など、ちょっと手を休めた瞬間にかすかに吹いてくる涼風。そんな時宮古人は「ああ、いい風こだ…」とほんの一瞬だが仕事の手を止めて幸福感にひたる。そんな一瞬を「ムゴノコビリ」と言う。ちなみに「コビリ」は「小昼」で10時、3時の一服タイムに食べる食事のことだ。では「ムゴノコビリ」とは食べ物か?というとそうではないようだ。実際にはかすかに吹いてくるそよ風をさすのだが、言葉に含まれる意味はそよ風ではなく肩身の狭い婿に与えられた自由な時間を言いあてているようだ。婿さんはみんなが仕事をしている時は当然ながら仕事をして、一服休みの「コビリ」の時も休まず仕事。「カセギトダガネー/働き者だねー」といつも周囲を納得させないと立場が悪かった。ちょっとでも相続を散財したものなら百倍の「ワリクヅ/悪口」なわけで、そんな悲しい婿さんの、わずかな憩いを言い表していると思われる。

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