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2007/08 野仏、石仏、如意輪観音

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 寺や墓は葬式や追善供養などの特殊なイベント時のみ儀式的に接触するため、隅々までじっくり見学見聞することもない。しかし毎年8月の盆は先祖供養のためにリラックスした気持ちで寺の内部を観察できる。こんな時こそ寺という空間を再発見してほしいものだ。

 寺の発生を調べるとその地に流れた著名な宗教者が仮小屋を建てて仏像を安置し経文をあげたり、妖魔のたぐいを調伏したりするのがきっかけとなっていたりする。しかしながらそのような記録は寺がある程度の形となってから逸話として語られたもので、あくまでも伝説伝承の部分だ。基本的に寺はその地区から離れた場所にある寺が出張所のようなお堂、死者を一時的に安置する引導場などの簡易な宗教施設を設け、それがのちに僧を派遣して寺へと進化する末寺のパターンで建立されてきた。また、基本的にはその土地において「寺院」という宗教活動としての存続が可能な檀家数を獲得できる場所へ発生すると考えてもいいだろう。

 寺の形は本尊や諸仏が祀られている本堂と僧の生活の場である庫裡に分けられる。本堂は仏が祀られている場所を内陣とし、信者が拝むための場所を外陣と呼ぶ。本尊である仏が祀られている場所を浄土と捉えその対局となる裏側などに閻魔や十王を祀る場合もある。本尊の後ろには寺の歴代住職や、檀家総代などの位牌が置かれる場合が多く、参拝者は本尊を拝むことによりその寺にとって重要信仰媒体も一度に拝むことになる。また、寺とは諸仏が置かれた本堂そのものではなく山門を潜った時点で、すでにそこが寺としての機能空間であり、庭、祠、石碑、墓所などの全ての配置を含めて寺という空間が成り立っていると考えるべきだろう。加えて寺がその地区の中心に位置するのか?村はずれなのか?神社との対応関係はどうなのか?などの点も寺を探るポイントとなるだろう。

 さてそんな寺に対する興味があってもなくても8月は盆の月で大概の人が寺や墓へ参拝することになる。そんな寺と密接な季節に合わせて今月は毎月紹介している石碑とは趣を変えて石仏をする。これらは墓所などに故人の戒名を刻んで追善供養や墓石代わりにしたものや、講などの組織で浄財を出し合い共通の信仰媒体として建立したものなどがある。

 各寺の墓所や公葬地を歩いてみると三宝を抱えた地蔵などの石碑が多く見られる。これらは賽の河原で幼子を救うという地蔵信仰にあやかったもので幼くして亡くなった子どもたちへの追善供養の場合が多いようだ。これらの石仏は時代的には江戸後期の享保、宝暦から文化文政年間あたりのものが多く、彫りも時代によって様々な意匠がある。今回は市内各地区にある石仏や野仏の中から如意輪観音という意匠に絞って古いものから最近のものまで4体を紹介する。

 如意輪観音は人々の願いによって自在に変化して救済するという変化観音の中でも代表的なモチーフで片膝を立てた半跏像で六臂で表現される。表現された6本の腕は右第一手が頬に手を当てて思惟を表現し、右第二手が胸前で何でも願いがかなうという如意宝珠、右第三手が外側に垂らし念珠を握る。左第一手は大地に触れ、左第二手は蓮のつぼみを持ち、左第三手は指先で宝輪を支える。この輪は古来は武器であり煩悩を破壊する仏の象徴となっている。

 この仏の御利益は無病息災から六道救済、安産、子宝など現世利益を中心に功徳がある。また変わったところで歯痛に効く仏として信仰される面もあるが、これは右第一手が右の頬に手を当てていることから、民間信仰の世界では歯痛の守り神とされたものだ。

 最初に紹介する如意輪観音は田老水沢地区の熊野神社にある如意輪観音だ。神仏が融合していた時代から考えれば神社に仏教媒体があっても何らおかしくはないわけで、古くはこの神社が別の信仰体系を持っていたとも考えられる。石仏は若干目の粗い花崗岩に細工されており、左側面に天保十二年辛丑(1841かのとうし)三月吉日、観音の光背部分である裏面に施主・源兵衛、源八、彦介、忠松、源之蔵、満蔵、万吉と連名があり、下部に宮古町石工・源八作の名がある。

 次の如意輪観音は、蛸の浜町の九峰山・心公院境内にある。仏の光背となる部分右には戒名らしき文字があり、先頭部は欠落しているが□緑禅定尼具位、左には宝暦二申(1752さる)十一月十四日とある。戒名の文字に「尼」があることからこの石仏が女性の墓碑として作られたことが伺える。

 次の如意輪観音は田老の養呂地の石碑群の中に建つ念仏小屋の中にあるものだ。この小屋は地区の老人達が彼岸や盆などに集まって念仏や御詠歌を唱えるための小屋だ。石碑左側には寛政三亥(1791い)六月吉日、左に奉造立十九夜講中とあることからこの碑は個人の墓碑や追善供養ではなく、藩政時代末期に毎月十九日に集まり念仏を唱えていた講中が建立したものだろう。

 最後の如意輪観音は近世のもので、竜谷山・瑞雲寺の参道にある石像群の中にある如意輪観音だ。瑞雲寺には三十三観世音菩薩像、十六大菩薩蔵など約50体もの石像が並んでおり圧巻だ。これらは平成11年に施主100名らによって建立されたものだ。その中から今回は如意輪観音を撮影した。石仏の前には施主の名が刻まれた石柱があり施主として柾家安美他7名の連名がある。

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