Miyape ban 01.jpg

長根寺諸仏拝礼

提供:ミヤペディア
2012年12月26日 (水) 09:20時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内, 検索

厄災を免れた仏たち

昭和17年の火災によりほとんどの仏像、掛け物、古文書などの寺宝を失った長根寺だが、火災を免れたいくつかの仏像がある。それらは本堂脇、尾玉殿内に安置されている。長根寺の仏像は幕末に無住となり廃寺になった山口の「赤龍寺」から移転したものも多く、その中には昭和初期に黒森神社御陵説を打ち立てた黒森顕彰会が、長慶天皇座像とした応永銘(1394~1428)のある僧型の木像もある。また、明治政府による神仏分離令により長根寺自体も荒廃した時期があったことから、多くの仏尊が打ち壊されたり持ち出された歴史もある。いづれにせよ現在長根寺に残された仏像たちは幾多の厄災を乗り越えて現存する仏たちであることに変わりはない。

  • 十一面観音

信仰する衆生に応じ変幻自在に姿をかえて現れ衆生を救うとされる観世音菩薩は、その形態から六観音、七観音、三十三観音という形に変化した。十一面観音は自らの顔も含めて文字通り11の顔があり、そのなかの頭部中心のものが釈迦如来とされる。十一面観音は修験系が信仰し、病を除き罪を清め、信仰する人に幸福をもたらすとされる。

  • 不動明王

明王とは大日如来の教義に基づきすべてのものを包摂し、仏敵を粉砕し大日如来に従わせる仏だ。不動明王は憤怒の顔で威嚇し、右手には迷いを断ち切る剣、左手に人々を救う索を持ち、背後の炎で全ての罪を焼き尽くす。密教系の信仰には欠かせない仏で長根寺にも数体の不動明王がある。本堂に鎮座するのは大聖不動明王で再建後建立されたものだが、人々を睨み威嚇するその姿は迫力がある。

  • 女神像

優しい表情の女神。大陸風の衣装に頭には冠をつけている。しかし残念ながらこの女神像の由来は不明で、長根寺持ちの白山神社の御神体、白山菊理姫(はくさんくくりひめ)なのか、吉祥天女、妙音天であるか、または稲荷信仰に関係した枳吉尼天であるかまったく不明だ。

  • 阿弥陀如来

人の死後最初に迎えにくるというのが阿弥陀如来だ。平安時代に盛んに信仰され、後に民衆レベルまで降下し「南無阿弥陀仏」のお題目はあまりにも有名。阿弥陀如来は今も西方浄土で法を説き、その慈悲の光りに触れるものは罪人さえ一切の苦から救うとされる。長根寺にはその昔、阿弥陀堂があったと伝えられており、そこに安置されていた仏像かも知れない。

  • 応永銘木像

頭部に雲形に白輪の模様がある宝冠に、真言の僧衣をまとっている。像には「応永廿四年大覚丁酉八月十九日入滅・二貫三百文」という文字が刻まれ、昭和初期、黒森神社御陵説を打ち上げた黒森顕彰会ではこの像こそ長慶天皇に関係する遺物であると主張した。その理由は像が神社を管理していた赤龍寺から移管されたものであり、年号が長慶天皇崩御と類似していることから、この像が長慶天皇23回忌のために作られたものではないかというものだった。のち昭和19年、長慶天皇御陵は嵯峨東陵の発表があり顕彰会の努力は報われず、応永銘木像の真意は未だ判っていない。

  • 天神様

天神様の愛称で親しまれ、学問の神として知られる菅原道真公を模した木像。文章、詩歌に才能を発揮し右大臣まで昇格した菅原道真は藤原氏の陰謀で失脚、九州へ左遷され不遇の死をとげた。のち、都には天変地異が続き道真怨霊説が囁かれ、その霊を慰める北野天満宮を建立、天神として御陵信仰が発生する。同時に天神が雨風を自由に操ることから稲妻と雨を呼ぶ神として農耕神としての信仰も集めた。長根寺は俳句が刻まれた反古塚や、歴代詩歌をたしなむ住職が多いこと、江戸末期には寺子屋としての側面もあったことから、学問、農耕の両面から天神が信仰されたと考えられる。

関連事項

表示
個人用ツール