花輪小学校北川目分校
提供:ミヤペディア
(版間での差分)
(→地図) |
|||
8行: | 8行: | ||
==地図== | ==地図== | ||
− | + | https://goo.gl/maps/lJRIh | |
− | + | ||
− | + | ||
{{DEFAULTSORT: はなわしょうがっこうきたかわめぶんこう}} | {{DEFAULTSORT: はなわしょうがっこうきたかわめぶんこう}} | ||
[[Category:宮古の学校]] | [[Category:宮古の学校]] | ||
[[Category:廃校リスト]] | [[Category:廃校リスト]] |
2014年10月23日 (木) 16:23時点における最新版
[編集] 明治9年長沢小学校平分教場として開校
北川目分校は明治9年(1876)当時の長沢簡易小学校の平分教場として、現在の南川目分校と同時期に創立した。その後長沢村と花輪村が合併し明治35年(1902)花輪尋常小学校分教場となり、大正6年(1917)南北両川目に校舎を新築し1名の教員を配置し花輪尋常高等小学校北川目分教室となった。その頃の生徒数は36名で、昭和に入り戦争に向かってぐんぐん生徒数が増えピークの昭和20年(1945)には66名を数えた。しかし、戦後は炭焼、林業の衰退により生徒が激減、花輪小学校が百周年を迎えた昭和50年(1975)には男8人女4人の12名となり、58年(1983)には男子1人となってしまった。その男の子も昭和60年(1985)には卒業し、63年(1988)までの2年と数ヶ月間は生徒のいない学校となり63年(1988)春、約100年の歴史を抱いたまま閉校となった。北川目分校は昭和35年(1960)に落成した独自のブロック校舎で、職員の他、児童用の風呂場まで設置されるなどユニークな設備があった。