田老鉱山・鶯谷の滝(田老鈴子沢)
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2014年10月24日 (金) 09:08時点における最新版
[編集] 田老鶯沢廃校田老二小校内から沢を登る
田老鉱山の滝は閉山と同時に廃校となったかつての田老第二小中学校裏から流れる鶯沢(別名鋤ノ沢)にある。滝は10メートルほどで旧田老町教育委員会編の石碑を記載した冊子によると周辺に滝大明神と刻まれた60センチほどの石碑があるとのことだが、発見できなかった。かつてこの沢の水が田老鉱山の飲料水であったものと思われ、現在は宮古市水道事業所が管理している。田老鉱山は江戸末期に南部藩の鉱山として知られ明治になり幾度となく転売された後、大正期にラサ工業が権利を取得、昭和11年(1936)田老鉱山として操業を開始した。鉱床は銅、亜鉛、硫黄、硫化鉄でこれら鉱石を索道でラサ工業宮古精錬所へ運んでいた。戦後は新たな鉱床も発見され多くの人が鉱山に従事しており社宅も400戸を数えた。それに伴い敷地内に田老第二小中学校が設置された。その鉱山も石油ショックなどの影響で昭和47年(1972)に閉山、施設は廃墟のまま東京の学校法人へと転売され現在に至る。