Miyape ban 01.jpg

渡船

提供:ミヤペディア
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの作成:「===閉伊川の渡し半世紀。閉伊川の渡船=== 明治43年、閉伊川河口の藤原と光岸地を結ぶ渡船が誕生した。当時、官庁関係は愛...」)
 
 
(1人の利用者による、間の3版が非表示)
1行: 1行:
===閉伊川の渡し半世紀。閉伊川の渡船===
+
====閉伊川の渡し半世紀。閉伊川の渡船====
  
明治43年、閉伊川河口の藤原と光岸地を結ぶ渡船が誕生した。当時、官庁関係は愛宕地区にあったが、藤原地区に行くために宮古橋を渡るのは不便だった。そうした役人を運ぶために始めたのが、愛宕地区の坂下伊兵衛氏だった。6メートルの小船で棹や櫓を漕いで運行した。定員は30名前後で船賃は5厘から始まり、戦前は大人2銭、小人1銭。戦後には50円、30円となり所用時間5分で結んだ。その後、寅治、松雄さん親子3代で引き継いできたが、昭和44年3月、高度成長の交通革命に勝てず、川から姿を消した。
+
明治43年、閉伊川河口の藤原と光岸地を結ぶ渡船が誕生した。当時、官庁関係は愛宕地区にあったが、藤原地区に行くために宮古橋を渡るのは不便だった。そうした役人を運ぶために始めたのが、愛宕地区の坂下伊兵衛氏だった。6メートルの小船で棹や櫓を漕いで運行した。定員は30名前後で船賃は5厘から始まり、戦前は大人2銭、小人1銭。戦後には50円、30円となり所用時間5分で結んだ。その後、寅治、松雄さん親子三代で引き継いできたが、昭和54年3月、高度成長の交通革命に勝てず、川から姿を消した。
  
 
{{DEFAULTSORT: わたしぶね}}
 
{{DEFAULTSORT: わたしぶね}}
[[Category:交通]]
+
[[Category:宮古歴史]]
 +
 [[Category:交通]]

2016年11月7日 (月) 16:27時点における最新版

[編集] 閉伊川の渡し半世紀。閉伊川の渡船

明治43年、閉伊川河口の藤原と光岸地を結ぶ渡船が誕生した。当時、官庁関係は愛宕地区にあったが、藤原地区に行くために宮古橋を渡るのは不便だった。そうした役人を運ぶために始めたのが、愛宕地区の坂下伊兵衛氏だった。6メートルの小船で棹や櫓を漕いで運行した。定員は30名前後で船賃は5厘から始まり、戦前は大人2銭、小人1銭。戦後には50円、30円となり所用時間5分で結んだ。その後、寅治、松雄さん親子三代で引き継いできたが、昭和54年3月、高度成長の交通革命に勝てず、川から姿を消した。  

表示
個人用ツール