昭和8年津波記念碑(重茂)
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2014年10月23日 (木) 15:40時点における最新版
[編集] 明治8年の三陸津波顕彰碑
明治29年の三陸津波の記憶も醒めやらぬ昭和8年、またしても津波が来襲し外洋に面した重茂地区は多大な被害と多くの人命を失った。この石碑も同じようなパターンで重茂各地区に点在している。写真の石碑には昭和8年の年号に津波がきた時間、下部に「強い地震は津波の報らせ、その後の警戒一時間。想え惨禍の大地震」とあり、台座に「字里に於いて、流失住宅廿八、死者四十七人、傷者八人」と刻まれている。重茂地区にはこれと同じ碑文の石碑が数基あり、復興後、当時の災害義捐金で建立されたものと思われる。