昭和8年津波記念碑(浄土ヶ浜)
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2014年10月23日 (木) 15:40時点における最新版
[編集] 津波の教訓を後世に伝える
昭和8年3月3日に襲った三陸津波の教訓を生かす記念碑は各所に建立されている。これらは、当時の東京朝日新聞社が集めた義損金を各町村に分配して、その余りを建碑費として各町村が受取り石碑建立にあてたもの。昭和9年に建立され「大地震の後には津波が来る。大地震があったら高い所へ集まれ」などと迅速な避難を呼びかけるものや、「高き住居は児孫の和楽 思え惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな」と指示するものなど、いろいろ教訓が刻まれている。