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早池峰山

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 早池峰山は宮古市・遠野市・花巻市にまたがる標高1,917mの山。宮古市からは晴天の日には西の彼方に見える山で、小中学校、高校の校歌のモチーフとして馴染みが深い。早池峰山は北上山地の最高峰で日本百名山、新日本百名山、花の百名山、新・花の百名山及び一等三角点百名山に選定されており、早池峰山とその周辺の薬師岳、鶏頭山は昭和57年(1982)6月10日に国定公園に指定されている。早池峰山は山体が蛇紋岩のため、他では見られない固有の植物種が育つ環境にあり全国有数の高山植物の宝庫として登山家などに広く知られている。初夏から夏にかけてはハヤチネウスユキソウ、ナンブトラノオ、ナンブイヌナズナ、ナンブトウウチソウなどを代表とする蛇紋岩地帯特有の植物が咲き多くの登山客で賑わう。非常に狭い地域であるにもかかわらず山域の固有種率(亜種、変種を含む)が非常に高くそのため高山植物の好きには憧れの山となっている。ハヤチネウスユキソウなどの高山植物は特別天然記念物に指定されており、本州で唯一、アカエゾマツが自生している山であることでも知られている。

 これらの珍しい植物があるため、早池峰山周辺の1,370haは早池峰自然環境保全地域として1980年5月17日に指定を受けた。山地帯から高山帯にいたる植生の垂直分布がはっきりと見られる点も優れている。このため、この地域内では野生動植物の捕獲や採取、木材の伐採、鉱物や土石の採取が禁止されている。

 山頂と麓の岳集落には早池峰神社があり、神仏習合の時代から山岳信仰が盛んな場所であった。麓の岳集落で伝承される早池峰神楽が知られている。岳集落には民宿があり、登山の起点ともなっている。6月の第2日曜日から8月の第1日曜日の土日祝日は登山口付近の混雑を解消するために、岳集落から江繁地区まで車道はマイカー規制が行われ、かわりにシャトルバスが運行されている。
早池峰山の小田越.jpg
早池峰小田越登山口

目次

地図

https://goo.gl/maps/tUAB1

早池峰信仰

大槌・宮古通先達・小国・善行院

 古くから早池峰山はその山全体を御神体とした山岳信仰の対象であった。早池峰山へ登る各方面の登り口には御坂里宮として神社が建ち、山頂には奥宮として御堂が建った。一方、修験者や聖職者たちにより密教系の神仏が勧請されるなど信仰は複雑に絡み合ったまま藩政時代を経て明治を迎えた。

 早池峰山への登拝道は四方にあり各所の掛口には早池峰新山宮や別当寺があった。遠野妙泉寺は遠野、大槌、伊達領気仙、東磐井、本吉地方を、岳妙泉寺は南部領岩手郡、伊達江刺、北上地方を信仰圏とした。門馬妙泉院は上田通、田代村、門馬村、平津戸村、宮古通、閉伊川各村を支配、小国善行院も遠野妙泉寺の支配先達として小国元村、大槌、金沢、山田地方を信仰圏にしていた。これら御坂を支配する別当寺は先格を主張し各々が異なる開山伝説を語り格上は己だと信じていた。そのため古くから先格争いが頻発し、各御坂の確執の溝は埋まらなかった。

 小国善行院は小国村関根にあり天台宗門派で不動明王を本尊とした。開山詳細は不明だが同地区内の大圓寺裏手にある中世の舘跡、大梵天舘築城とも関係があり開山は江戸以前と考えられる。初代浄貞院が早池峰山小国掛所に新山堂を開き善行院と称したのがはじまりと伝えられている。江戸期になり善行院は現在の早池峰登山コースである小田越峠を経て登る江繋御坂を支配し、この坂を経ての早池峰山参拝には小国村の善行院、円鏡坊が必ず先達をせよという藩命が下っている。
小国の善行院.jpg
小国関根地区に残る善行院の行屋

古文書にある川井地区 勝山泰三・編『下閉伊案内』より

 此地方の部落の開創、發達の年月は不明なれども、閉伊頼基の臣阿蘇重休が川井舘を築き、猪狩諸深が川内舘に居住し、各其他を支配せる事は明である。閉伊氏滅び、南部氏此地方を領地とせる後は、重臣楢山氏の所領となり、明治に至つたのである。

 地名の川井は、當地が閉伊川と小國川との落合口なるより、元、川合と書せしに、年を経る間に、川井と書するに至ったのである。夏屋は往古常住者なく、夏季遠野地方より來れる者假小屋を営みて耕作に従事し、収穫後、歸郷するを常とせるより起因し、箱石は其地方に箱に似たる石あることに起因せりと傳へられる。其他の地名の起因は不明。

早池峰山への道・小田越峠 昭和45年に県道として整備

 小田越峠は早池峰山と薬師岳の間の峠道で、行政区域は遠野市、花巻市、宮古市にまたがる。標高は1256メートル、周辺にはアオモリトドマツ、ダケカンバなどの高木にハクサンシャクナゲ、ナナカマドなどが混生する。小田越峠からは主峰早池峰山、早池峰剣ヶ峰、中岳、鶏頭山、そして対岸に薬師岳を仰ぐことができる。周辺は環境配慮のため車両は駐停車禁止となっている。小田越峠が開かれたのは大同元年(806)、あるいは、小国善行院が開いたとされる天暦9年(955)とも伝えられるが定かではない。藩政時代となり慶長15年(1610)頃に南部利直がこの峠道を主要道として認め公道へと昇格した。その後昭和34年県道小国紫波線となり、農免林道小田越線となり同45年県道として開通した。

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