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岩泉線

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目次

耐火粘土を運ぶ貨物路線として昭和17年開業

JR東日本の「岩泉線」は宮古市の茂市と隣接の岩泉町・岩泉を結ぶ38・4キロのローカル線だ。以前は「小本線」と呼ばれ、岩泉線と改称したのは昭和47年である。一日の運転本数は全区間が3往復、茂市-岩手和井内の区間列車が1往復運転されている。輸送量も少なく国内有数の超ローカル線だ。しかし、近年は秘境駅のある路線として鉄道マニアや観光客の間で密かな人気ともなっている。 1987年の国鉄分割民営化で多くの輸送量が少ないローカル線が廃止された中にあって、残った岩泉線はよりローカル色の濃い路線として注目が増したものだ。1両で山峡を走るロケーションは多くの人の郷愁を誘う。鉄道雑誌にも取り上げられ撮影のために足を運ぶファンは多い。

岩泉線は沿線住民の足・現在の岩泉線

早朝の5時30分、宮古駅から発車し茂市駅-岩手和井内駅を通学列車として往復、その後岩泉行きとなった列車は7時53分に岩泉に到着、その後運転台を交換し8時01分宮古行きとして岩泉駅を発車する。列車には宮古へ用足しや病院などへ通院するための乗客が乗り込んでくる。その数は二升石、浅内、岩手大川と停車するたびに増え座席が埋まってゆく。押角トンネルを通過するとあとは山間の里を縫うように走り、岩手和井内、中里、岩手刈屋と停車し乗客を増やしながら8時52分、茂市駅に到着。ここで上りの快速リアス9時33分に連絡する。列車は岩泉線から山田線に入り、蟇目、花原市、千徳と停車、列車はほぼ満員で9時15分、宮古駅へ定刻到着する。
戦前から戦中にかけて釜石製鉄で使う耐火粘土を搬出するために整備された岩泉線。戦後は浅内駅をターミナルにして岩泉町の豊富な木材を運び、そして昭和57年貨物輸送が廃止され旅客鉄道として存続してきた。その間バスやマイカーなどの交通手段の変革に伴い利用者を減らしながら便数が減らされ現在は三往復(一往復は茂市-岩手和井内)のみのダイヤとなった。しかし、実際に列車に乗ってみると多くの人が岩泉線に依存して生活していることがわかる。列車は現在も住民の足として確実に利用されているのである。さりとて、鉄道の維持管理費と天秤にかければ赤字ローカル線の汚名を払拭するまでには至らないだろう。しかし、押角峠を含む国道340号線の整備促進も今後の目処も立たない現在、沿線住民にとって岩泉線が唯一の交通機関である以上、今後も岩泉線が存続し続けてほしいと願うばかりだ。

時刻表記は2007年6月現在

岩泉線の歴史

岩泉線は1942年に茂市-岩手和井内間が建設された。当初は茂市から岩泉経由で現在の三陸鉄道北リアス線の小本までを結ぶ鉄道として計画された。そのため建設から1972年までは小本線と呼ばれていた。
時は世界大戦の中、緊迫した状況の中で小本線が着工されたのには理由があった。その理由は、小本川上流域(岩泉町門付近)で採掘される耐火粘土(シャモット。製鉄所で使用する耐火煉瓦の原材料)の存在だった。製鉄の過程で必要不可欠なこの耐火粘土をこの鉱山から釜石の製鉄所へ輸送するための準軍事輸送路として「小本線」はこの世に誕生した。
茂市-和井内開業の後、岩手和井内-押角が貨物線として開業。最大難所の押角トンネル(2987m)も貫通し、出口付近に宇津野駅が仮営業し耐火粘度の輸送に使われた。戦後復興後も鉄は重要で、宇津野駅は1947年には本格開業となった。宇津野から門(かど)の鉱山までは索道も作られ耐火粘度を輸送したという。
小本線は1972年に岩泉まで延長された。この時に岩泉線として改称された。この時点で小本延長ということは無くなったに等しい。釜石製鉄所の高炉の火が落ち、鉱山もその主要出荷先を失い閉山、規模を縮小して新会社が設立されたが坑道での採掘は止めてしまった。
岩泉線はその建設の動機となった粘土鉱山の廃止、周辺の過疎化で輸送量は落ちるだけ落ちた。並行する国道340号線が代替道路として不適切ということで岩泉線は残ってはいるが、現代の日本でこのような鉄道が世紀を越えて生き残っているということは奇跡とも言える。

岩泉線の沿革

茂市ー岩泉間 38・4キロ駅数9駅/全線単線/全線非電化/閉塞方式
昭和17年 (1942) 6月25日 開業、茂市-岩手和井内(10・0キロ)当初は小本線だった
      岩手刈屋、岩手和井内駅が新設された(茂市駅は昭和9年に山田線の駅として開業)
昭和19年 (1944) 7月20日 延伸開業、岩手和井内ー押角(5・8キロ)貨物営業のみ
      貨物押角駅新設
昭和22年 (1947) 11月25日 延伸開業、押角-延伸開業(4・5キロ)旅客営業開始
      (岩手和井内-押角)、宇津野駅新設、押角駅貨物から一般駅へ
昭和23年 (1948) 11月26日 風水害で全線営業休止
昭和24年 (1949) 3月5日 全線復旧営業再開
昭和32年 (1957) 5月16日 延伸開業、延伸開業-浅内(10・9キロ)。岩手大川駅、浅内駅新設。宇津野駅廃止
昭和41年 (1966) 10月1日 中里駅新設
昭和47年 (1972) 2月6日 延伸開業 浅内ー岩泉(7・4キロ)旅客営業のみ。二升石駅、岩泉駅新設。岩泉線と改称
昭和57年 (1982) 11月15日 茂市-浅内貨物営業廃止
昭和59年 (1984) 6月22日 運輸大臣が廃止承認を保留した
昭和60年 (1985) 8月2日 代替道路未整備を理由に廃止対象から除外される
昭和61年 (1986) 4月1日 岩手和井内、浅内駅無人化に伴い、茂市ー岩泉間閉塞化となる
昭和62年 (1987) 4月1日 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継する
平成15年 (2003) 10月11日 快速キハ52・58岩泉号が運転され多くの乗客が岩泉線を訪れた

関連事項

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