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宮古地名図鑑(動物編)

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地名に動物の名称を取り込んだもので最も多いのが「馬」の字だ。馬は古来より農耕、運搬などで人々の生活に密着していたからであろう。飼い葉を取った場所、柵を設けて管理・繁殖させたりした場所などに馬の字がつく地名が残されている。また崩れやすい斜面などを古語的表現で「ザレ」などと呼ぶことから、それが「サル」に転訛し明治期の土地調査等で「猿」の字が当てられたものや、尾根が平地と出会う山の「根」を「ねっこ」と方言的言い回しにしてそこへ「猫」の字を当てはめたものなどユニークな名称がある

目次

蜂ヶ沢(はちがさわ)

蜂が多い沢であったか?

蜂ヶ沢の行政区は近内で北は田代へ越える雄又峠までが境界となる。山口川の支流であり山口と境界を接するため、端の沢が転訛し「蜂」となったと考えられる。宮古弁では蜂を「バチ・バズ」と発音するので、通称は「ばずがさわ」と呼ばれる。昆虫の蜂とは関係はない。

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地図

https://goo.gl/maps/Bj8H9 :蜂が沢付近

大鰐谷(おおわんや)

江戸末期南部藩の銅山があった

芋野地区と亀ヶ沢地区の中間の沢沿いにある山間の集落。現在4軒ほどの民家がある。大鰐谷は鰐口のように切り立った山稜の合間にあるという意味だ。道は途中で途切れその先は大鰐谷森(788)だ。この山の北側の山腹には江戸時代の鉱山跡、北ノ又、虎穴がある。

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地図

https://goo.gl/maps/eUzR8 :大鰐谷付近

馬子舞(うまこまい)

うれしくて馬方が踊ったのか?

山口から雄又峠を経て田代へ向かう街道の山口川に残る地名。この街道を往復する馬車の休憩所だったとも言われるが、舞は「前」の変化で土地的特徴の手前という意味と思われる。山間の丘陵地には以前、数件の農家があったが現在民家はなく、バス停にその名が残る。

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地図

https://goo.gl/maps/vFrT7 :馬子舞付近

馬場(ばんば)

馬を飼育した柵があった名残か

田代の野外活動センター手前に拓けた田代川沿いの丘陵地。周りを山に囲まれているが平地は広く陽当たりも良い。おそらくここで林業に従事する馬を放牧、繁殖させた名残が地名に残ったものだろう。隣の地区は鍛冶ヶ沢でこれも製鉄、しかも馬の蹄鉄を作っていた名残と思われる。

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地図

https://goo.gl/maps/61gpv :馬場付近

亀ヶ沢(かめがさわ)

亀ヶ森源流部の集落

田代の落合地区で田代川と合流する亀ヶ沢は宮古市最高峰亀ヶ森(1112)を源流としている。亀ヶ森は木材や山の幸を育む豊穣の山としてだけでなく、洋上からの目印の山で古来より漁業者の信仰も厚い。山頂の亀岳大明神奥宮への参道は亀ヶ沢地区から登る。

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地図

https://goo.gl/maps/hrhPU :亀ヶ沢付近

青猿(あおざる)

青毛(灰色)の猿がいたわけではない'

青猿の猿は崩れやすい斜面を意味するサレ・ザレなどの言葉が転訛したと考えられ、この周辺に猿が徘徊した由来ではない。この他猿の字が当てられた地名は老木地区南東の猿壁山などがある。また田老地区には青猿に似た「青砂利」という小字名がある。

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地図

https://goo.gl/maps/VHm10 :青猿付近

鴨崎町(かもざきちょう)

鴨が飛来する山口川に由来?

鴨崎町と和見町の間には山口川が流れ、ここにマガモなどが飛来するが、元々この川は山口川が増水して市街地に水害被害をもたらすので大正時代に放水路として人工的に作った川だ。従って鴨崎の鴨は鳥のカモではなく、その昔に加茂神社などが祀られた信仰の名残かも知れない。

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地図

https://goo.gl/maps/0Mbcw :鴨崎付近

山猫踏切(やまねこふみきり)

宮澤賢治の童話に出そうな踏切'

ファンタジーな童話の雰囲気が漂う岩泉線・中里駅近くの遮断機のない踏切の名称。おそらく山猫とは山の根、すなわち山が平地と交わる先端部を意味しそれが方言として訛り「ねっこ」となって「やまねっこ」に漢字を割り当てたものだろう。また九旧・新里地区には猫屋敷という名字の家がある。

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地図

https://goo.gl/maps/uVjgp :山猫踏切付近

馬草(まぐさ)

馬の飼い葉を刈った土地だったか

馬草は現在の和井内14地割付近で刈屋川を渡りJR岩泉線の陸橋を潜った辺り一帯と思われる。ここには現在民家が一軒あり、刈屋川に注ぐ安庭の沢上流には宮古市老人憩いの家・安底山荘がある。安庭とは耕作には不向きな荒れ地を意味する。

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地図

https://goo.gl/maps/cSiW3 :馬草付近

猫ヶ沢(ねこがさわ)

長根の尾根を意味する根の沢

岩手県北バス宮古営業所の背後一帯を古くは猫ヶ沢と呼んだ。現在国道106号はバイパスとなり宮町を通るが、宮古街道の旧道は同営業所裏の道で峠を越えて長根の砥石向へ通じていた。背後の山の尾根には千徳氏に討たれた払川舘主・鬼九郎の家臣・石峠八郎の塚がある。

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地図

https://goo.gl/maps/VpPz4 :猫が沢付近

蟇目(ひきめ)

古文書により様々な漢字が当てられる

伝説によれば坂上田村麻呂がこの地で邪気を調伏するという蟇目の法を行ったというが、田村麻呂は閉伊には踏み込んでいない。また、文書により蟇目は引目、曳目とも記され、水田などに水を引き込んだ用水路などが地名に転訛したと思われる。

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地図

https://goo.gl/maps/db3Xn :蟇目付近

とどヶ崎(とどがさき)

海獣トドが回遊したという

トドはアシカ科の中で最も大きい種類で5センチほどの牙があり体重は約300キロほどだ。古来dヶ崎周辺では北の海から南下してきたトドが見られたためそれが地名の起こりとなったとされるが、実際は太陽または、陽が昇る先端を意味する「トト」という古語が元になったと考えられる。

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地図

https://goo.gl/maps/wFMA5 :とどが崎付近

馬越(まごし)

法之脇と津軽石の峠の名称

馬越踏切はJR山田線津軽石駅手前の稲荷神社下の踏切の名称。かつて金浜方面から津軽石に入る峠付近の小字名が残ったもので、峠は当時の村境になっており猿田彦などの道開きの石碑群がある。藩政時代の津軽石は山田・釜石方面へ向かう伝馬の駅だった。

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地図

https://goo.gl/maps/lTWmL :馬越付近

熊野町(くまのちょう)

熊野神社奥宮で億万町の別名

市内鍬ヶ崎市街地の北端に位置する。旧鍬ヶ崎村社であった熊野神社を祀る丘の麓にあるからこの地名となった。熊野神社を尊称「オ」(御)をつけ、御熊野様、略して御熊様、訛って「オグマン様」とも呼ぶ。このことから昔は町名に「億万町」とか「億万丁」という字を当てたらしい。

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地図

https://goo.gl/maps/3l5qS :熊野町付近

蛸の浜町(たこのはまちょう)

たわんだ地形の浜が由来か

市内鍬ヶ崎の熊野町と隣接する地域。浄土ヶ浜北側にある蛸の浜海岸は岸浜漁の拠点でもあるほか、夏になると浜辺は海水浴でにぎわう。古くは田子浜、鮹ノ浜とも当てたが今は蛸の浜だ。昔、浜に大蛸があがったとか、沖の砂子島がタコに似るとか、南須賀にある蛸穴からついたなどの説がある。

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地図

https://goo.gl/maps/CpuJp :蛸の浜町付近

猿峠(さるとうげ)

遠くから見ると猿がうずくまった姿に似ているとか

市内の宮園団地と崎山地区箱石間の間にある山の峠だ。三陸鉄道一の渡駅から宮古方面方向に見える山で、その下を通るトンネルが「猿峠トンネル」と名付けられている。うずくまる猿の形をした山の峠ということらしい。また、宮園団地へ行く途中の宮古山口病院付近の石碑群に、昔猿峠にあったという道祖神がある。

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地図

https://goo.gl/maps/Pg75U :猿峠付近

馬場野(ばばの)

神田川両岸に拓けた肥沃な丘陵地

田老地区の国道45号から宮古北高校方面に入った学校周辺一体の地域。馬場は馬の調練場のこと。または馬のさなぶり場の意味でもある。さなぶりとは苦労に対する労いの宴のこと。馬場に見たてた小広い土地や街道のことも指す。

地図

https://goo.gl/maps/YaVLw :馬場野付近

竜神崎(りゅうじんざき)

岬信仰の要。沖の岩場と太鼓橋で結ばれる

宮古鍬ヶ崎地区の日立浜東先端にある場所が竜神崎だ。ここには海神である竜神を祀る八大竜王の社がある。航海安全と大漁祈願のための信仰の場所で、漁民らは出漁や帰港時にはここに参拝する。龍神崎と舘ヶ崎の間には袴島という小さな定置網があり、北東は外洋に向いて対岸には閉伊崎があり、宮古湾の岬信仰の要でもある。

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地図

https://goo.gl/maps/tmUKb :竜神崎付近

牛伏(うしふし)

背後の山の山稜の線が牛の背に似ているという

中世の時代宮古地方を統治していたという閉伊氏の居舘である根城の北西に位置する集落。明治期に老木村、ついで花輪村と合併し行政区は花輪だったが、昭和40年代に牛伏橋の完成をもって学区などが千徳に移った。閉伊氏を鎮魂するという牛伏念仏剣舞などの伝統芸能が残る。

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地図

https://goo.gl/maps/95oqv :牛伏付近

千鶏(ちけい)

東斜面には大規模な縄文集落跡がある

宮古湾の東側重茂半島太平洋岸の南側に位置する集落。半島先端のトドヶ崎は本州最東端に位置し、この地域にある千鶏小学校も本州最東端の位置にある。伝説では宮古磯鶏とつながりがある。磯鶏からもってきた鶏を飼育したとこと千羽に増えたからというもの。また「津処」の転訛で船着き場という意味がある。

地図

https://goo.gl/maps/iUSGJ :千鶏付近

駒形通(こまがたどおり)

絶大な信仰を集めた駒形神社へ続く道

宮古市の南側に位置する津軽石地区藤畑にある通りの名前。駒はもちろん馬のこと。この地域には馬を祀る駒形神社があることから、この通りは門前通りとしてこの名が付けられた。昔、祭礼時には津軽石川を渡り多くの馬がここにお参りをいて馬の健康と安全を祈願した。神社境内には戦争へ徴用された馬の慰霊碑がある。

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地図

https://goo.gl/maps/fYVVM :駒形通り付近

鵜磯(ういそ)

漂着した一族が定住した伝説あり。降り磯、折祖とも

宮古湾の東側の重茂半島の北側、太平洋岸に位置する集落。伝説では伊豆から来た武士が船で上陸した地が「下り磯」であり、それが転訛して「鵜磯」になったという。また鵜のいる磯でもあることからもこう呼ばれる。

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地図

https://goo.gl/maps/M0KS8 :鵜磯付近

磯鶏(そけい)

明治期の土地改革で新漢字が当てられた。古来は曾計比

宮古市の市街地から閉伊川を隔てて南側に位置する。東側は宮古湾に面している。伝説では高貴な人物が海で溺れ死んだ時、磯で鶏が鳴いて知らせたことからだと言われるが、中世には「曾計比(そけひ)」の字が当てられている。海蝕、河蝕地形を言う削(そげ)の意味もある。
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地図

https://goo.gl/maps/etcjP :磯鶏付近

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