姉妹市村締結記念之碑(新川町)
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2014年10月23日 (木) 15:08時点における最新版
[編集] 江戸時代の海難事故が縁で姉妹市村締結
江戸末期の安政6年(1859)江戸を出帆した宮古の善宝丸は、嵐に遭遇し76日間漂流を続けた末に多良間島に漂着、島民らの手厚い保護を受けて無事宮古へ帰還したという。この逸話は昭和49年に宮古の郷土史家の研究によって発見されたもので、宮古市では昭和51年多良間村に「報恩の碑」を建立した。その後児童生徒らの交流学習、労働者派遣などを経て宮古市と多良間村は平成9年に姉妹市村を締結。同年6月に珊瑚礁や南の海の貝殻などで飾った姉妹市村締結記念碑が建立された。