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大森家

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2014年10月23日 (木) 10:30時点における最新版

[編集] 明治・大正にかけて岩手県議会議員を6期勤めた大森堅蔵の生家

宮古市の千徳地区にある大森家の庭園は、宝永年間(1704~1711)に造られたものといわれ、宮古でも古い庭園のひとつ。庭は裏山を背景にして造られたもので、自然の中に見事に調和している。山には竹、モミジ、クリ、松をはじめイタヤの木が繁り、その中腹から下にはサツキ、ツツジ、シンパクなどが植え込まれている。山と一体化した庭にはキジやヤマドリなどが飛びかい、ウグイスなどが囀り、四季を通じて自然を味わうことができる奥深い庭園である。
大森家は初代綱光氏が根市から移って、千徳のこの地を占め現在で17代目になる。14代目にあたる堅蔵氏は、原敬の知遇を得て明治から大正にかけて県会議員を6期も勤めるなど、かつての政友会の重鎮であった。
南部藩制時代には、ここは閉伊街道の東端に位置する交通の要衝であって、藩主が三閉伊といった上閉伊、下閉伊、中閉伊を巡視する際には、ここの屋敷を本陣にしたという。残念ながら本陣屋敷はかなり昔に火災にあっている。
南部藩主も眺めたであろう庭園は、春は山の新緑に萌え、秋には紅葉に染まる。昔のままの姿で残るその風情は、殿様を迎えた様子が想像され、まるで幽玄境を思わせる。

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