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大いなる旅路

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太平洋戦争の最中、昭和19年3月11日、山田線平津戸-川内間で起きた雪崩による貨物列車脱線事故で一命をとりとめた機関助士の手記を元に製作された作品。映画はモノクロで時代設定は大正末期の盛岡駅だ。機関区に勤務する機関助士・岩見浩造(三國)は、自分の仕事は単なる釜たきだと野卑しては酒に溺れていた。そんなある日、同乗した機関士が命を落とす雪崩による列車事故を機に、機関士として列車の安全運転に生涯をかけることに目覚める。時局が満洲事変、日支事変、やがて第二次世界大戦へと移り変わる中で妻や出征する息子たちとの家族愛と雪と汗と油にまみれた鉄道一筋の人生を描いている。この映画の最大の見せ場は『殉職者頌徳帳』に記載されている雪崩による脱線シーンで、この撮影のために本物の蒸気機関車を走らせ、浅岸駅構内のスイッチバック路線を使って横転シーンを撮影している。映画のクレジットには日本国有鉄道の文字もあり、この映画に国鉄が全面的に協力していたことがわかる。宮古での上映は宮古東映(三社タクシー向・元宮ビル)で行われ多くの市民が足を運んだ。

目次

昭和35年機関士魂を綴った手記が映画化

太平洋戦争の最中、昭和19年3月11日、山田線平津戸-川内間で雪崩による貨物列車脱線事故が起こり乗務員の機関士1名が殉職した。事故は前日に釜石製鉄所からの軍事物資の鉄を満載して盛岡へ向かった宮古機関区所属の機関車C58283が牽引する貨物列車が空車で盛岡から宮古へ回送する途中に発生。列車は2メートルを超す積雪のため立ち往生、平津戸駅で一夜を明かしたのち宮古へ向かい、雪崩によって押し流された鉄橋から脱線、約30メートル下の閉伊川に転落した。この事故で列車に乗務していた加藤岩蔵機関士(28歳・福島県出身)が殉職、機関助士の前田悌二さん(当時19歳・現84歳・泉町在住)がかろうじて一命をとりとめた。
機関士一人が殉職した事故であったが時局が戦時体制であり、南方の戦場では多くの命が散っている悲惨な時代だったため、脱線事故は新聞記事にも取り上げられないまま忘れ去られた。そして、その年の9月には前田機関助士にも招集令状が届き横須賀海兵団に入団している。脱線横転した機関車C58283は事故後引き揚げ作業は見送られ閉伊川に横転したまま終戦を迎えた。復員した前田さんは宮古機関区に復職、数年後C58283も引き揚げられ郡山工場で修復して復元され、山田線がディーゼル化する昭和45年まで機関士となった前田さんとともに山田線で乗客と荷物を運ぶことになる。
昭和30年代前半、盛岡鉄道管理局機関部労働組合盛岡支部では『殉職者頌徳帳』を刊行、これに昭和19年3月11日の山田線・平津戸ー川内間での脱線事故の詳細と、宮古機関区長、乗務していた前田機関助士の手記が掲載された。これが当時の脚本家・新藤兼人の目に止まり、自らの怪我より後続列車の二重事故を防げと命じた気骨の機関士魂として脚本化され、監督・関川秀雄のコンビで映画化が決定。主演の機関助士に三國廉太郎らの面々で盛岡鉄道管理局の全面協力のもと盛岡や山田線などでもロケが行われ、昭和35年『大いなる旅路』として全国の東映系映画館で封切られたのである。

事故を検証する。未曾有の積雪により事故は翌朝起こった

盛岡を19時過ぎに発車した宮古経由釜石行の貨物列車は宮古機関区のC58283が牽引する13輌の空車回送だった。しかし積雪と強風の猛吹雪のため平津戸駅到着は2時間以上も遅れた午前0時過ぎとなった。そこへ先行する列車が川内駅で立ち往生していると連絡を受けた加藤機関士と前田助士は大志田駅で列車を止め慎重に釜の火を調節しながらデッキ内で朝を迎えた。翌朝、積雪は2メートルを超えていたが先行する列車が動いたという知らせに、加藤機関士は雪を押しながら進む方法を選んだ。構内は人力で除雪し空腹と疲れによる眠気に耐えながら列車は7時56分、一路宮古へ向かった。
積雪の下り坂では列車が立ち往生すると後ろに貨車を連結していればバックも出来ない状況になるため、雪を押しのけ加速しなければならなかった。加藤機関士は助士の前田さんに「火を焚け、火を焚け」を連呼した。そして橋梁やトンネルは雪がないので思い切り加速をつけてまた雪の壁に当たる動作の繰り返しだった。
事故は突然起こった。第三大峠トンネルを出て次の第一小滝トンネル間にある3つの鉄橋のうちふたつ目の第二下平鉄橋の桁が雪崩により押し流され、線路が宙づりの状態になっていたのだった。積雪と吹雪で乗務員はその状況を気付く術もなく脱線。8時7分、加藤機関士、前田助士を乗せた機関車C58283は30メートル下の閉伊川に転落した。
連結器がちぎれ貨車は線路に残ったが、車輪を上にして転落した運転席で加藤機関士は右胸に重症を負った。前田助士は幸いにも軽傷だったが右手に裂傷を負い骨が露出していた。加藤機関士は前田助士にガラスが割れ止まってしまった懐中時計を渡し「これが事故の起きた時間だ。二重事故を防げ」と伝えた。前田助士は腰まで雪に埋もれながら平津戸駅へ戻るべく歩を進めたが積雪に自由を奪われ断念。加藤機関士のもとへ戻り怪我の手当を行った。出血により体温が落ちるので自分の服を脱ぎ着せるとともに、石炭の燃えかすを運び体温低下を防いだが猛烈な寒さの中でどうにもならず加藤機関士は衰弱していった。  平津戸駅では所定の時間を大幅に過ぎても列車が川内駅に到着していないため保線員が徒歩で川内駅に向かった。二時間後、保線員が脱線を発見、加藤機関士、前田助士は救助された。しかし、加藤機関士の容態は悪化、前田助士の手を握ったまま息をひきとった。平津戸・川内間の除雪は地元青年団が行い、宮古から医師看護班を乗せた列車が川内駅に着いたのは夜中の11時を回っていた。

事故現場

加藤機関士が殉職した現場の山側にはC58283のプレートをはめ込んだ慰霊碑があり毎年関係者らによって慰霊祭が営まれている。また、同様に盛岡運輸区宮古派出所(旧機関区)内にも事故を記録し後世に伝えるための記念碑、宮古駅前には機関士魂を讃える超我の碑が建立されている。現場は閉伊川をはさんで国道106号線の対岸になっている。また、軌道内であるため一般人の立ち入りは出来ない。現場を判りやすく説明すると、旧国道106で事故が多発した「魔のカーブ」と呼ばれた区間を迂回するため改修された下平第一トンネルと、106号小滝トンネルの間の中間付近だ。国道側の立木の間から慰霊碑が確認できる。

地図

https://goo.gl/maps/2T7XY :事故現場

映画・大いなる旅路データ

映画「大いなる旅路」は現在もDVDとなって販売されている。画面はモノクロだが特撮やコンピュータによるCGなどがない分、映像は計算され丹念に撮影されている。そして山田線浅岸駅で実際に機関車を転落横転させた映像は本物ならではの迫力がある。ストーリー展開は半ば強引な部分もあるが大御所俳優の若かかりし時代の初々しい演技も見所だ。詳しいクレジットは下記。お求めは書店、CDショップなど。

DVD情報
タイトル 大いなる旅路
製作 1960年
監督 関川秀雄
出演 三國連太郎/高倉健/南廣/中村賀津雄
加藤嘉/東野英治郎/他
発売日 2006年8月4日 発売
価格 4725円(税込)
発売元 東映ビデオ
販売元 東映株式会社
品番 DSTD-2591
収録時間 95分
画面サイズ 16:9/4:3(LB)
色 モノクロ
音声 日本語:DD(モノラル)

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