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国道45号

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国道45号の開通

寛永18年(1641)に、藩命により野田村から宮古市を経て大槌町までの三閉伊街道(野田通・宮古通・大槌通)の改修を行わせたのが史実にでる初めての公道改修である。また、明治14年(1881)に国道45号は、浜街道と呼ばれる3等国道であったといわれる。この浜街道は南部藩時代の一里塚道路で、駅名を見ると気仙・氷上・盛・小白浜・釜石・大槌・船越・山田・津軽石・宮古・田老・小本・田ノ畑・普代・宇部・久慈となっており、現在の国道45号とほぼ同じルートになっている。大正9年から12年(1920~23)にかけて、八戸・久慈線、久慈・小本線、小本・宮古線、宮古・釜石線、釜石・盛線、盛・一関線、高田・気仙沼線が県道に編入された。また、昭和9年(1934)には八戸・宮古間が指定国道6号線、宮古・釜石間が9号線、釜石・気仙沼間が10号線に指定されています。その後、次のような経緯を経て八戸・仙台間が一般国道45号になった。

昭和28年(1953)5月 2級国道111号線
昭和37年(1962)5月 1級国道45号
昭和40年(1965)4月 一般国道45号

そして、昭和38年(1963)から1次改築工事が進められ、昭和47年(1972)10月に全線が開通した。この結果、県内の道路延長が328.9キロから259.7キロに、仙台まで10時間半かかった所要時間も6時間に短縮された。なお、宮古大橋は、昭和49年(1974)11月に2次改築として全面開通した。

【参考資料】「三陸国道」(2005年5月)ほか

三陸縦貫自動車道

昭和62年(1987)6月に、高速交通体系の整備の必要性から、全国で1万4,000㎞の高規格幹線道路網が閣議決定された。三陸縦貫自動車道は、仙台市を起点に石巻・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石の各主要都市を経由して宮古市に至る、延長約220㎞の一般国道の自動車専用道路として、この高規格幹線道路網に定められたものである。現在、陸前高田地区、釜石山田地区、宮古地区などで事業が進められている。また、八戸・久慈間の約50㎞を結ぶ八戸久慈自動車道も、同時に一般国道の自動車専用道路として高規格幹線道路網に定められ、現在、久慈地区などで事業が進められている。

【参考資料】「三陸国道」(2005年5月)ほか

三陸北縦貫道路

地域高規格道路は、平成5年(1993)12月に策定された「広域道路整備基本計画」により指定され、自動車専用道路、あるいは同程度の機能を有し、60㎞/hから80㎞/hの速度が出せる道路として整備されるものです。三陸北縦貫道路は、地域高規格道路の候補・計画路線として、宮古・久慈間の90㎞が平成6年(1994)12月に指定されたものです。現在、普代バイパス、中野バイパス(岩泉町)などの工事が進められている。

【参考資料】「三陸国道」(2005年5月)ほか

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