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国道106号

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目次

閉伊街道

元和元年(1615)に津波巡視に訪れた南部27代藩主利直が、藩港として宮古港の開港を進めたことが閉伊街道の改修のもとになる。郡代小本正吉、船越新左エ門の両名は利直公の命を受け、三閉伊道法を改めて42町を1里(4キロ)とし、7里詰の塚を街道に設置したのが街道の改修の始めといえる。この街道は、狭いうえに高低が甚だしいため、荷馬の運搬が容易でなかったことから、これを見かねた和井内(新里村)出身の林宗寺(釜石市)住職、牧庵鞭牛は、宝暦元年(1751)に蟇目から平津戸までの街道の開さくに着手し、やがて兜明神(川井村)の麓から宮古までの20里は荷馬も楽に通れるようになった。明治4年(1871)には、島県令が区界に6日間滞在し、交通の状況を調べたうえで閉伊街道の改修を重視したことから、明治14年(1881)に四間(7.2m)幅の閉伊街道が完成したが、後に洪水で所々が決壊したことから二間(3.6m)幅に改修された。

【参考資料】宮古のあゆみ:宮古市(昭和49年3月)

国道106号の開通

閉伊街道(宮古街道)は、明治16年(1883)に県道に編入されているが、その後、次のような経緯を経て一般国道106号になった。

大正9年(1920)4月 県道盛岡・宮古港線
昭和11年(1936)9月 指定府県道4号線
昭和28年(1953)5月 2級国道宮古・盛岡線106号
昭和37年(1962)5月 2級国道106号
昭和40年(1965)4月 一般国道106号

そして、昭和41年(1966)8月から改築工事が進められ、昭和53年(1978)10月に全線が開通した。この結果、道路延長が108.5キロから95.9キロに、4時間以上あった所要時間も約1時間50分に短縮された。

【参考資料】道づくり:三陸国道工事事務所(平成7年3月)ほか

宮古盛岡横断道路

地域高規格道路は、平成5年(1993)12月に策定された「広域道路整備基本計画」により指定され、自動車専用道路、あるいは同程度の機能を有し、60㎞/hから80㎞/hの速度が出せる道路として整備されるものである。宮古盛岡横断道路は、地域高規格道路の候補・計画路線として、宮古・盛岡(盛岡南I.C)間の100㎞が平成6年(1994)12月に指定されたものである。平成11年12月には、川井村の達曽部道路(トンネル2、橋1含む)が開通した。現在、宮古地区、盛岡地区などで事業が進められている。

【参考資料】宮古盛岡横断道路:宮古土木事務所ほか

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