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三陸鉄道

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目次

三陸鉄道のルーツ

明治29年(1896)6月の三陸大津波の復興策として、同年7月に三陸鉄道株式会社の創立申請趣意書が逓信大臣に提出された。宮城県石巻を起点に宮古に至る、延長172.2キロの鉄道敷設計画であったが、却下され幻の会社に終わった。これが、三陸鉄道のルーツといる。
明治時代よりあった三陸を鉄道で結ぶ構想は沿岸都市と内陸を結ぶ路線の建設に力点がおかれていたが、昭和に入り終戦後、国鉄久慈線・盛線をつなげると八戸から東北本線の小牛田まで三陸海岸が鉄道で直結でき青森・岩手・宮城の3県の沿岸地域を縦貫することになることからこれが三陸縦貫鉄道構想となった。1962(昭和37)年に鉄道審議会において盛-釜石、宮古-久慈を工事線とすることが決まり、工事が本格的にスタート。完成目前となったが、国鉄の危機的経営状況の悪化で国鉄再建法の施行に伴い部分開業していた区間が廃止対象となり、未開業区間は工事凍結となった。現在の三陸鉄道は、この廃止路線の経営を引継ぎ、工事凍結で未開業となっていた吉浜ー釜石、田老ー普代を完成させたうえ、南リアス線(盛ー釜石)と北リアス線(宮古ー久慈)の2路線で、日本最初の国鉄地方交通線転換の第3セクター鉄道として営業を開始した。明治の大津波で壊滅的被害を受けた沿岸住民にとって、長年の悲願がここに叶ったのである。

【参考資料】三陸鉄道物語:菊池弘 著(昭和58年12月)

三陸縦貫鉄道

大正9年(1920)11月に鉄道敷設法の改正案が内定し、三陸縦貫鉄道は「久慈より小本を経て宮古に至る鉄道」と「山田より釜石を経て大船渡に至る鉄道」として予定線に編入された。なお、宮古・山田間は、すでに明治25年(1892)6月の鉄道敷設法で予定線に編入されていた。改正案は、大正10年(1921)の帝国議会で衆議院は通過したものの貴族院で流産し、翌11年(1922)3月の高橋是清内閣での帝国議会で成立し、正式に予定線になった。しかし、その建設は、昭和36年(1961)に調査線に編入されるまで約40年も棚上げにされたままだった。この間、昭和5年(1930)3月に八戸線(鮫・久慈間)、10年(1935)9月に大船渡線(一関・盛間)、14年(1939)9月に山田線(盛岡・釜石間)がそれぞれ全通し、三陸縦貫鉄道の中で久慈・宮古間と釜石・盛間が取り残された形になっていた。

【参考資料】三陸鉄道物語:菊池弘 著(昭和58年12月)

宮古線の開通と廃止

昭和36年(1961)5月に、国の鉄道建設審議会において、三陸縦貫鉄道の久慈・宮古間、釜石・盛間が調査線に編入された。翌37年(1962)3月には異例の早さで工事線に格上げされ、昭和39年(1964)10月に久慈・小本・盛それぞれで着工式が行われた。その後、昭和40年(1965)11月に久慈・普代間、41年(1966)2月に盛・綾里間、12月に宮古・田老間の工事に着手した。そして、昭和45年(1970)3月に盛・綾里間9キロが盛線として、47年(1972)2月には宮古・田老間12.4キロが宮古線として開業した。また、昭和48年(1973)7月に綾里・吉浜間12.5キロが延長され、50年(1975)7月には久慈・普代間26キロが久慈線として開業した。しかし、昭和55年(1980)2月に運輸省の国鉄再建法案がまとまると、久慈・宮古・盛の三線は廃止対象になった。同年8月に盛線の未開通部分(釜石・吉浜間)、56年(1981)1月に久慈線の未開通部分(普代・田老間)の工事が中断し、3月には閣議決定により正式に久慈・宮古・盛の三線が廃止対象になった。

【参考資料】三陸鉄道物語:菊池弘 著(昭和58年12月)

三陸鉄道の開業

久慈・宮古・盛の三線が廃止対象になり、反対の決起大会も開かれたが、昭和56年(1981)8月には沿線市町村長の合意のもとに県が第三セクター方式による運営を決定した。 そして、同年11月に授権資本金10億円、設立時払込資本金3億円の第三セクター、三陸鉄道株式会社が発足した。昭和57年(1982)2月に、三陸鉄道㈱に地方鉄道営業免許がおり、3月には未開通部分の工事も再開され、昭和59年(1984)4月に三陸鉄道北リアス線、南リアス線が開業した。三陸鉄道の延長は107.5キロメートルで、北リアス線(久慈・宮古間)が71キロ、南リアス線(釜石・盛間)が36.5キロある。現在、久慈・宮古間は約1時間30分、釜石・盛間は約50分で結ばれている。また、JR山田線(宮古・釜石間)の区間を走る久慈・盛間の直通列車も運行されている。春・夏・秋・冬の企画列車を運行するとともに、レトロ列車やお座敷列車等の風情ある列車も運行されるなど、新しい展開もみられる。

【参考資料】 三陸鉄道物語:菊池弘 著(昭和58年12月)

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三陸鉄道スポット年表

1896
明治29
7・4 白根逓信大臣に三陸鉄道株式会社の創立申請書を提出
1962
昭和37
3・29 鉄道審議会において盛ー釜石・宮古ー久慈を 工事線とする
1970
45
3・1 盛-綾里、国鉄盛線として開業
1972
47
2・27 宮古-田老、国鉄宮古線として開業
1973
48
7・1 綾里-吉浜、国鉄盛線の延長として開業
1975
50
7・20 久慈-普代、国鉄久慈線として開業
1980
55
12・27 国鉄再建法成立
1984
59
4・1 三陸鉄道開業
1984
59
7・22~ 8・31 国鉄線直通臨時列車うみねこ(盛岡-宮古-久慈)、むろね(一関 ー盛ー釜石)運転(86年まで運転)
 
59
12・22 北リアス線白井海岸駅開業(堀内-普代間)
1985
60
7・25~8・21 三鉄車両を使用した国鉄直通臨時連者シーガル(久慈-宮古- 釜石)運転
1985
60
10・16 南リアス線小石浜駅開業(綾里-甫嶺間)
1986
61
1・1 初日の出号初めて運転(以後、毎年運転)
1987
62
3・22 国鉄山田線・大船渡線との定期列車相互乗り入れスタート
1988
63
7・24~ 8・8 仙台-盛-釜石-宮古-久慈-八戸に「三鉄パノラマ」号運転
1989
平成元
3・11 ダイヤ改正、スピードアップ実施(最高速度80キロから90キロへ)
1990
2
4・16 レトロ調気動車、横浜博覧会協会より岩手県へ譲渡され三陸鉄道 へ貸与となる
1992
4
7・4~9・15 三陸海の博覧会開催、観客輸送で釜石ー平田に臨時列車
1994
6
2・22

南リアス線小石浜-甫嶺間で強風のため列車横転事故発生

1994
6
3・6 風速計6ヶ所新設(安全対策)
1995
7
9・20 防風柵増設(安全対策)
1996
8
7・20 第1回三鉄ウォーキング交流会開催
1996
8
10・4 第17回全国豊かな海づくり大会PRのためのデザイントレイン運転開始
1998
10
4~5 岩手菓子博98開催、南北リアス線から滝沢まで三鉄車両による団体臨時列車運転
1998
10
7・25~ 8・16 仙台-盛-釜石-宮古-久慈に「リアスシーライナー」運転
1999
11
7・21 グラフィックデザイン車両(リアス・エコライナー)登場
2000
12
12・24 間伐材を使った記念キップ発売(南リアス線)
2001
13
6・22 女性運転士常務開始(北リアス線)
2002
14
10・1 お座敷列車(さんりくしおかぜ号)運転開始
2003
15
10・1 三鉄ツーリスト久慈営業所開設
2003
15
10・14 「鉄道の日」実行委員会から「日本鉄道賞」受賞
2004
16
4・1 開業20周年
2004
16
6・30 レトロ調気動車「おやしお号」引退
2005
17
3・13 新レトロ調気動車「さんりくしおさい」デビュー
2005
17
12・17 久慈-宮古間で「こたつ列車」本格運転(12月~2月)
2006
18
1・30 レトロ調気動車「くろしお号」引退
2006
18
4・16 さんりくしおさい2営業運転開始、レトロ列車増発
2006
18
4・28 JR東日本ジョイフルトレインによる「さんりくトレイン北山崎」 盛岡-宮古-久慈で運転(JRキハ58ケンジ)
2006
18
12・22 赤字せんべい発売、以降オリジナル商品開発に力を入れる
2008
20
8・9 三陸鉄道新ロゴマーク変更
2009
21
4・1 開業25周年
       

三陸鉄道イベント車両

三陸鉄道が保有するイベント車両は、レトロ調気動車「さんりくしおさい号」が2両、お座敷列車「さんりく・しおかぜ号」1両の計3台がある。レトロ調気動車は、当初「おやしお号」「くろしお号」の2両があった。横浜博覧会で使用するため昭和63年に新しく製造され博覧会終了後、岩手県が譲り受けこれを三陸鉄道が借り受けて使用していた。2両は引退後ミャンマーに行った。イベント車両では、これまでに花見かき、チョウセンアカシジミ観察会、もちつきとお月見、スイーツ、健康ウォーキング、ビール、ワイン、クリスマス、忘年会、結婚式、市町村開催の成人式などが行われ、企業・団体の貸切り等にも利用されている。3月14日のダイヤ改正後、「さんりくしおさい号」は、北・南リアス線で各1両の保有となった。北リアス線では団体客の対応のみの運転、南リアス線では土曜と休日に定期運転をしている。貸し切りは今まで通りに行う。

お座敷列車さんりくしおかぜ号

お座敷列車「さんりくしおかぜ号」は、平成14年10月から運行された。新幹線の八戸開業に合わせて観光客誘致のために誕生したものだ。レトロ調気動車と類似しているが、ゆったりと畳に座れるため、どちらかというと宴会系の利用に人気がある。大正琴発表会、和服着用宴会などの利用もある。今年で4回目の冬を迎えた恒例の「こたつ列車」としても運転されている。(3月末で終了)こたつ列車は稼働率の悪かったこのお座敷列車を利用しつつ、乗客の少ない冬の時期に誘客のために考えられた日本で唯一の列車だ。 このほかユニークな産直列車もある。2006年(平成18年)4月23日に誕生したの列車は一般車両に産直コーナーを設置し、南リアス線で団体客を中心に運行している。売り子さんは三鉄友の会会員や産直組合の地元の人々で、列車の中では観光ガイドもしている。地元の言葉で沿線の見どころなどを話しながら走る列車の旅は好評だ。5月のゴールデンウィークは盛-釜石を一日一往復、定期運転をする。

リアスシーライナー

もともとあった悲願の三陸縦貫鉄道の構想。そのルートを通る列車として仙台~八戸を走り始めた。昨年の夏で12回目。走行距離は400・4km。昼間に走る普通・快速列車としては(新幹線除く)一番長い走行距離だ。約10時間の旅を毎年楽しみにしている人もいるという。本年度運行は未定。

さんりくしおさい八戸号

2004年から5年間走った列車。八戸で新幹線を降りた乗客を宮古に迎え入れるための列車だ。沿岸部の町を一本でつなぐ列車として活躍した。

さんりくトレイン北山崎号

2006年からスタートし今年で3年目となった。夏と春に走る。盛岡駅で新幹線を降りた観光客らを北山崎や三陸沿岸へ誘客するJRの企画列車で展望室が1両目と3両目についている。

外部リンク

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