この墓石は蛸の浜心公院墓所、藤田家の敷地内にある。墓の主は「三浦屋ゑき」という人で嘉永5年(1852)9月12日に62歳で没している。墓の右側には「閑古鳥、啼くや梅咲く、夢の中・春夜還李堂」と句と雅号がある。三浦屋という屋号の家がどのような商売をしていたかははっきりとしていないが、幕末に栄えた鍬ヶ崎の廓であったという説もある。
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