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くじら松

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生け捕った鯨の権利で鍬ヶ崎衆と磯鶏衆が争う

磯鶏の旧黄金浜と旧とど浜の間に一本の松の木がある。かつて砂浜だったこの一帯も今や埋め立てられ、当時の白砂青松の面影はどこにもない。ただ、ここに残る一本のこの松の木だけが当時ここに砂浜があった歴史を伝えている。現在も枝を広げる松の古木には次のような言い伝えがあある。
昔、宮古湾には鯨が大量に揚がり、特に赤前の浜では何日も何日も大漁が続き、磯鶏や高浜の漁師たちからうらやましがられたという。そんなある日、湾内に逃げ込んだ鯨数頭がが磯鶏の飛鳥方前に迷い込んだ。磯鶏の漁師は総出で追い回し、とど浜の北よりの浜に追い上げた。逃げられては大変と、太い綱を鯨に巻きつけ岩の上にある大きな松に結んだ。ところが、そこへ鍬ヶ崎の漁師が来て、この鯨は自分たちがが先に見つけて追っていたと言い出し喧嘩になった。当時、藤原地区に漁家はなく藤原須賀一帯は鍬ヶ崎の漁師が干し場として使用していたため、磯鶏との境界でもあったとど浜の松に鯨をつなぎ両者が権利を主張した。しかし両者が争っている間に鯨は縄から抜け出し逃げてしまったという。
宮古湾に鯨の大群が押し寄せたのは元禄14年(1701)5月下旬で、この事は南部藩を通じて江戸幕府に報告されている。鯨が押し寄せた原因は不明だが外洋でシャチなどに追われたのではないかと考えられている。『南部藩雑書』によれば押し寄せた鯨はマッコウクジラで4尋から6尋の大きさと記載されている。宮古湾内各浦での漁果は次の通り。

  • 赤前浦:24本
  • 津軽石浦:13本
  • 金浜浦:20本
  • 高浜浦:12本
  • 磯鶏浦:20本
  • 宮古浦:12本
  • 黒田浦:16本
  • 鍬ヶ崎浦:15本
  • 合計139本水揚

地図

https://goo.gl/maps/PD2m6

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